フジパン民話が終了し、今後どうなるのか心配していました。こちらのサイトで継続されるのですね。とても嬉しいです。六渡邦昭様がご快癒されますことをお祈り申し上げております。それでは失礼します。( 50代 / 男性 )
昔、ご飯をよそったときに、しゃくしでおひつのふちを絶対にたたくものではないと言われました。 それは行儀(ぎょうぎ)が悪いからというだけでなく、”くだしょう”がやってくるという大きな理由があったからです。
むかし、むかしの大むかしのことでがんすがの。 今の広島県の芦品郡(あじなぐん)に亀が嶽(かめがだけ)という山がありまんがのう、知っちょりんさろうが。そうそう、あの山でがんよのう。あの亀が嶽の中ほどに火呑山池がありまんがの、その池に一匹の大蛇(だいじゃ)が住んでおりまぁたげな。
昔、あるところに屁放の十どんがあった。 旅に出て関所に差しかかると、役人が、 「貴様の商売はなにか」 と尋(たず)ねた。
むかし、むかし、ある山里に貧乏なお寺があって、和尚(おしょう)さんが一人住んであった。 その寺へ、毎晩のように狸(たぬき)が遊びに来て、すっかり和尚さんになついていたと。
むかし、あるところに一人の息子がおって病気で寝たきりのお父(と)っさんと、看病に明け暮れしているおっ母(か)さんと三人で暮(く)らしておった。
むがし、あるところに爺(じ)っちゃと婆(ばんば)ど居てあったさんべんた。二人暮(く)らしていた訳(わけ)だ。 家も貧乏(びんぼう)なって、天井(てんじょう)から雨もむるし、馬こもいてあったぁじ、売ってしまっで、今は居(え)ね訳だ。
むかしとんとんあったんだけど。 左甚五郎(ひだりじんごろう)が旅していたら、日がとっぷり暮れたと。
むかし、美濃(みの)の国(くに)、今の岐阜県(ぎふけん)大野郡(おおのぐん)宮村(みやむら)の段(だん)というところに、猪野谷(いのや)という人がいたと。
むかし、むかし、あるところに爺(じい)と婆(ばあ)があったと。爺と婆には子供がなかったので田んぼの水神様(すいじんさま)に願(がん)かけをした。
とんと昔、あったけど。 昔、あるところに一人の貧乏(びんぼう)な若者がおったと。 ある日、若者は、玄関先(げんかんさき)で…
むがす、卓兵衛(たくべえ)さんという頓智(とんち)のある人がいたど。 お伊勢参(いせまい)りから無事(ぶじ)に帰って来たんで、日頃ねんごろにしている和尚(おしょう)さんのどこさ、お土産(みやげ)を持ってったど。
むかし、むかし。 豊後の国、今の大分県大野郡野津町(おおたいけんおおのぐんのづまち)大字野津市(おおあざのづいち)というところに、吉四六(きっちょむ)さんという、頓知(とんち)の効いた面白(おもしろ)い男がおった。
むかし、むかし。 ある山里にお爺(じい)さんと二人の娘が住んでおった。 ある日お爺さんが、山へたき木取りに行ったら、猿(さる)が出て来て…
むかし、ある村で一日に十人の男の子が産まれたそうな。 どの親も皆々(みなみな)お寺の和尚(おしょう)さんのところへ行って、名前をつけて下さいって、頼(たの)んだと。
あったてんがの。 昔、あるところにキツネとムジナがあったてんが。 あるとき、ムジナがキツネのところへやって来て、
むかし、堀内(ほりうち)の甚六(じんろく)という人がいてあったど。 貧乏(びんぼう)で、着る物てば、夫婦にひとつしか無かったすと。
むかし、豊後の国、今の大分県臼杵市野津町(おおたいけんうすきしのつまち)大字野津市(おおあざのついち)というところに、吉四六(きっちょむ)さんという、とても面白(おもしろ)い男がおった。
むかし、むかし、 長州と土佐と薩摩(さつま)の侍(さむらい)が一緒に道中(どうちゅう)していて、ひとつ宿(やど)に泊まったと。
むがしあるどごろに、気の好い爺(じい)さまど婆(ば)さまがあっだどさ。 あるどき、婆さまに団子(だんご)こさえで貰って、爺さまァ山さ木イ伐(き)りに行ったどさ。
むかし、平城のひらっ子という、人だましの上手な狐(きつね)がいたと。
※音声をお聞きになる際、始まるまでしばらくお時間が掛かる場合がございます。
※音声と文字は一部表記の異なる部分がありますが、ご容赦ください。
語り:井上 瑤/平辻 朝子
フジパン民話が終了し、今後どうなるのか心配していました。こちらのサイトで継続されるのですね。とても嬉しいです。六渡邦昭様がご快癒されますことをお祈り申し上げております。それでは失礼します。( 50代 / 男性 )
船頭が知ってたって事は医者の前にも見込まれた人がいたのかそれとも?( 30代 / 男性 )
小舟で釣鐘を二つも運んでたの?( 30代 / 男性 )
七不思議って怖いね( 10代 / 男性 )
猿は、悪いことをしたわけでもなく、むしろ困っていた翁の約束に応えて力を貸し、困難を取り除き、末娘を大切にし、その願いを叶えようと、出来る限りのことをしています。その猿が殺されてしまうことは、かわいそうでなりません。末娘は、結婚が嫌なら二人の姉のように断ればいいだけだと思いますし、それで婚約破棄になった為にが賠償しなければいけなくなってもそれは仕方のないことだと思います。しかし、猿は、殺されても仕方がないようなことはしていません。そして、娘は、猿の命を奪うこと以外の解決法を考えられるはずです。親孝行で賢い良い娘としてかかれている末娘は、最初から殺害しようと考えているようで、二人の姉よりずっと腹黒く残忍な娘だと思います。この話を、もしも取り扱わなければならない時は、自分の娘を労働の対価として物のように扱う翁やかけがえのない命を奪ってまで解決しようとした末娘の行動や、結局、猿を騙したり、殺害したりした翁や末娘が、そんなことで本当に幸せになれるのかどうかなどを問題にしようと思います。( 50代 / 男性 )
本当に驚きました。
たぬきけなげ( 30代 / 女性 )
令和四年6月10日現在、「和尚さんと狸」の話を聴いて感動し、このタヌさんの様に受けた恩義を長年努力してお返ししようとする若者、いや御仁はいるのだろうか… 少なくとも5年前の私ならばそんな余裕は無かったかも。今ならば、老い先短い今ならば、タヌさんがした様にコツコツと砂金を集められたかもしれない。欲望があるうちはなかなか出来ない感謝の所作。タヌさん有り難う。( 60代 / 男性 )
狸と和尚さんの友情に心温まりました。最後は切なかったけど、いいお話でした。( 30代 / 女性 )
いつも、ほっこりする民話をありがとうございます♪いつまでも残したいお話ばかりです!( 40代 / 女性 )
みんなの声
〜あなたの感想をお寄せください〜