地元ですが初めて聞く話でした!小学校の校歌にも水乞い山って入ってたなーと懐かしくなりました。( 40代 / 女性 )
― 岩手県 ―
語り 井上 瑤
採集・再話 武田 礼子
整理 六渡 邦昭
語り 井上 瑤
むかし、百姓(ひゃくしょう)は、ただ下積(したづ)みになって暮らして来たわけだナス。
干魃(かんばつ)で苦しみ、冷害(れいがい)で泣がされ、年貢米(ねんぐまい)の割り当てでは役人にしぼり取られでス。
干魃になれば、北上市(きたがみし)の更木(さらき)には用水もなく、溜池(ためいけ)の水に頼るくらいで、沢水だって、そうあてにならなかったのス。
挿絵:福本隆男
何日か日照(ひで)りがつづくと、ただギロッと天にらむしかなかったのス。
水飢饉(みずききん)の時は、人殺しもあったというなァ。
夜中、寝ずの水番(みずばん)するど、その水番同士の闇討(やみう)ちあったりしたわけヨ。
百日間、雨降らなくて掘ったという水騒動(みずそうどう)の井戸が、今も更木にそのままあるがア。
その頃のことだア。
どこからか、三経上人(さんきょうしょうにん)が現れで、
「ここでは水がなくて困ってるそうだが、オレ、ひとつ水の出るように祈願(きがん)してやる」
と言って、ここさ七つの井戸を掘れと村人に言ったど。
村人だぢ、まず一つの井戸掘りはじめだど。一つ掘れたら、三経上人、その井戸さ一日じゅう入って清めるのだけど。
何日もかかって、村人だぢ七つの井戸掘り終えだど。
挿絵:福本隆男
三経上人、七日間井戸に入って清め終わったら、その七つの井戸から、ドワッと、水湧(みずわ)き出したんだど。
そしたら、また村人だぢに、
「更木の一番高い山に、焚き木(たきぎ)千ダン集めて積め。もし雨が降らなかったら、この千ダンの焚き木を燃やした中で、この三経上人は死ぬ」
ど言っだど。
焚き木千ダンといえば六千束(ろくせんたば)だ。村人だぢ、またその通りにしたど。
三経上人、この千ダンの焚き木の上さ乗って、衣(ころも)をたなびかせ、天に向かって祈願の心こめで、お経読みはじめだど。
そして、村人に、その千ダンの焚き木さ火をつけらせだど。
挿絵:福本隆男
百日も雨降らなかったから、その焚き木、火の粉まき散らしてメラメラ燃えたど。
三経上人は、焚き木の上で、ますますお経高らかにとなえるけど。
その足元(あしもと)に向かって日が燃えさかり、村人だぢが、
「あ、衣さ火が移る」
「あ、足が火につつまれた」
と、口ぐちに言っで、さあ、今にも三経上人が焼け死ぬ、と思って、みなみな掌(て)をあわせだけど。
三経上人、天が割れるような声でお経つづけるけど。
そうやって騒(さわ)いでいるうぢに、辰巳風(たつみかぜ)が吹き、黒い雲が山の上に広まっていだのス。
そして、滝のような雨が、ザバーと降って来たど。
燃えさかる千ダンの焚き火(たきび)は、ジフーど消えてしまって、百姓だち、ただ掌(て)を合わせ、涙流して喜んだど。
三経上人は、更木を去るとき、
「もし、これからも雨が降らなくて困ることがあったら、寒沢(さふさ)の方さ向かって、太鼓(たいこ)たたいて拝(おが)め。必ず雨を降らせよう」
ど言ったのだけど。
更木には、三経上人の行(ぎょう)した所に、今もそのまま七つの井戸があるがス。
今は土がくずれたり、ごみや木の葉(きのは)がかぶさっているが、木の葉をさらうど、そこは水がサワサワど湧いでいるのス。
更木で一番高い山が標高(ひょうこう)280メートルの三経上人が祈願した山で、水乞い山という名で呼ばれでるのス。
いまでも、更木の人だちは、雨が降らなくて困るときは、水乞い山さ祈れという言い伝えを守って、水乞い山にお祈りして、餅米(もちごめ)集めて、雨降ると同時に餅ついで、神様にあげで、集まった人みんなで食って、解散(かいさん)する習わし残してるのス。
どんとはらい。
地元ですが初めて聞く話でした!小学校の校歌にも水乞い山って入ってたなーと懐かしくなりました。( 40代 / 女性 )
更木地区にこういった話があった事が驚きです!私も語りべの一人として伝えていきます!ありがとうございます ( 70代 / 女性 )
昔、あるところに兄弟があったと。 兄は病気で目が見えなくなり、食べ物を探しに行けなくなったと。 弟は、一人で食べ物を探しにきては、兄にいいところを食べさせ、自分はまずいところばかり食べていたと。
昔、昔、あったと。 日本(にっぽん)の狼(おおかみ)のところに、天竺(てんじく)の唐獅子(からじし)から腕競(うでくら)べをしよう、といって遣(つか)いがきたそうな。日本の狼は、狐を家来にしたてて、天竺へ行ったと。 天竺では唐獅子と虎が待っていた。
「水乞い山」のみんなの声
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