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ひとばしら
『人柱』

― 秋田県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭

 むかし、あったと。
 あるところで、川の堤防工事(ていぼうこうじ)があったと。
 土盛(つちも)りをするのだが、盛っても盛っても、そのたんびに川の流れで崩(くず)され、泥沼(どろぬま)のようになってしまう。工事は一向にはかどらなかったそうな。
 ほとほと困(こま)りきった親方(おやかた)は、ふと、
 「人柱ということもあるそうだがなあ」
と独(ひと)り言(ごと)をもらしたと。
 そしたら、それを聞いた一人の年かさの人足(にんそく)が、人をかきわけて前へ出ると、
 「わしが人柱じゃ」
と叫(さけ)んで、あっという間に泥の底深(そこふか)くとびこんでしまった。

 
 びっくりした親方は、他の人足たちと一緒(いっしょ)に、泥をかい出すやら、トビクチでかきまわすやら大騒(おおさわ)ぎ。が、その人足はどこへ沈(しず)んだのか、ついに見つけることも出来なかったと。
 仕方(しかた)なく、その人足をあつく供養(くよう)して、七日の間休んでから、また、工事を始めたと。そしたら今度は、土盛りが崩れることもなく、どんどん、どんどん工事が進んで、やがて立派(りっぱ)な堤防が出来上がった。親方をはじめ人足たちも皆して喜(よろこ)んだそうな。

 ところが、その日から親方の女房(にょうぼう)はぷっつり口をきかなくなったと。
 親方の女房といえば、人足たちにはアネサンと呼ばれて頼りにされ、なだめたりすかしたりもしなきゃあならん立場(たちば)だ。それが一言もしゃべらん。親方も人足たちも不都合(ふつごう)でしょうがない。そうして二年と何か月かが過(す)ぎた。

 
 とうとう、親方は女房を離縁(りえん)して実家(じっか)へ送って行ったと。そしたら、途中(とちゅう)で雉子(きじ)がケケーンと啼(な)いて飛びたった。親方は鉄砲(てっぽう)が好きで、この時も肩(かた)に下げていた。雉子が木に止まったところを「ズドーン」と撃(う)ち落としたと。
 それを見た女房は、
 「われ親(おや)同様(どうよう)」
と、あれからはじめて口をきいたと。
 「お前(め)え、しゃべれるでねえか、どうして今までもの言わんかった」
と親方が聞いたら、女房は、
 「実は、人柱になった人足はわたしの父親だったんだ。父親の供養に、三年の間口をきかねえって願(がん)かけしてた」
と言う。親方はびっくりして息をのんだ。
 「今撃たれた雉子は父鳥で、子と母鳥を守るためにわざと啼(な)いて飛びたった。子を思う気持ちは人間も鳥も同じだなあと思うて、思わずしゃべった」


 「そうだったか、知らぬこととはいえ、罪(つみ)づくりを重ねとった。すまなかった。そうと分かれば、こら離縁どころの話じゃねえ」
 親方は女房を連(つ)れて家へ戻り、このことを人足たちにも話したら、皆おいおい泣いたと。
 あらためて父親と雉子の供養をし、それからは大層(たいそう)仲(なか)よく暮らしたそうな。

  どっとはれえ。
 
人柱挿絵:福本隆男

「人柱」のみんなの声

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