採話した佐藤義則の里の者です。 方言が面白いなあ、と思う反面 当方の方言とイントネーションが違うなあ、と。 ( 50代 / 男性 )
― 山形県 ―
語り 井上 瑤
話者 佐藤 亀蔵
再話 佐藤 義則
整理・加筆 六渡 邦昭
トント昔(むがす)、あったけド。
ある所(どこ)さ、弥八(やはち)っていう狩人(またぎ)あったド。
ある時(どき)、山へ狩りへ行(え)ったけド。
日ィ暮って、木の洞(ほら)さ泊ってるど、ちょうど向い山の大きな岩洞(いわあな)みでら所さ、狐(きつね)コら寄って、尾っぽさ火コとぼして、一列ぇ並んで居だけド。
弥八ァ、狐コら奇態(きたい)な事するどて、
「こえつァ、狐の婚礼(むがさり)つうもんだべが。ハテ、オレばだます気ィらべが」
どて、息ころして見で居だド。
ほしたら、一番前(さき)さ立った大将狐ァ、懐(ふところ)がらピカラピカラ光る宝珠(ほうしゅ)の玉ば出して、双手(もろて)さ、うやうやすく戴い(いただい)で、
〽 見(めぇ)る める める める める
見ないものざァ にほんのヤハァズ
どて唱えで、次の狐コさ手渡したけド。
すっと、次の狐コも双手さ戴いで、
〽 見る める める める める
見ないものざァ にほんのヤハァズ
どて唱えで、次さ渡すならけド。
だんだん終(すんま)えさ渡って来っと、終えの小っさえ狐コ、また元の大将狐さ持(たが)って戻すのに行ぐならけド。
弥八ァ、この有様(さま)ば見で、
「こん畜生(ちくしょう)ら、いうにこど欠いで、見ぇない者ざ日本の弥八なの言ってけづがる。本に。明日の晩方(ばんげ)ァ見でろ、まず」
どて、ほの晩ァ何も構ねで帰って来たけド。
次の日、弥八ァ、狐の皮ば被って、昨夜(ゆんべ)の所さ構(かんま)えで、日ィ暮れんなば待ってらけド。
ほしたらやっぱす、狐コえっぱえ寄って来て、一列ぇなって、
〽 見る める める める める
見ないものざァ にほんのヤハァズ
どて、唱え始めだけド。
弥八ァ、こっそら狐コらの一番尻(すり)さ並んで、順番来んなば待ででいだけド。ほうして、とうとう弥八の番さなったけド。
弥八ァ、宝珠の玉ば双手さありがたく戴いで、
〽 見る める める める める
見ない者ァ 日本の弥八ざ 俺事(おれごん)だァ
どて叫(さけ)ぶが速いが、宝珠の玉ば懐さ入れで、一散(えっさん)と逃(ね)げで来たけドワ。
ほれがら、狐ァ世の中ば見る眼力(がんりき)無ぐしたけド。
弥八ァ、宝珠の玉で願い事ば叶えで、幸福(しあわせ)えなったけド。
ドンピン サンスケ ホーラの貝。
採話した佐藤義則の里の者です。 方言が面白いなあ、と思う反面 当方の方言とイントネーションが違うなあ、と。 ( 50代 / 男性 )
昔、津軽(つがる)の泉山村(いずみやまむら)に喜十郎(きじゅうろう)ちゅう百姓(しょう)いであったど。 秋になって、とり入れが終わったはで、十三町の地主のどごさ、年貢米(ねんぐまい)ば納(おさ)めに行ったど。
むかし、長崎市(ながさきし)の立山(たてやま)あたりは、岩屋豪(いわやごう)といってお諏訪(すわ)さまの丘から続いたこんもり繁った森であったと。この…
「狐の宝珠とマタギ弥八」のみんなの声
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