― 北海道江差町 ―
語り 平辻 朝子
再話 佐々木 達司
整理・加筆 六渡 邦昭
江差(えさし)の繁次郎(しげじろう)は、はたして利巧(りこう)なのか阿呆(あほう)なのか、よく判(わ)からんところがあったと。
忙(いそ)がしかったニシン漁(りょう)がおわり、雇(やと)われていた者たちは各各(おのおの)家へ帰ってゆく。
その折(おり)、親方は、みんなに土産(みやげ)としてみがきニシンを“たで”で一本ずつ持たせて帰す習慣(ならわし)であった。
“たで”というのは「立てムシロ」の略称(りゃくしょう)でムシロで作った俵(たわら)のことだ。つまり、みがき鰊(にしん)がギッチリ詰まった俵をひとつ持たせる。
挿絵:こじま ゆみこ
繁次郎(しげじろう)の家では、婆さまが土産の“たで”を楽しみに待っていたと。
戸が開く音がして、繁次郎が帰ってきた。
「ご苦労さまであったテ」
と出迎(でむか)えた婆さま、繁次郎のまわりをよおっく見たバテ、“たで”らしき物は無(ね)。
どうやら、怠け者(なまけもの)の繁次郎、かつぐのが嫌で“たで”を貰わないで、空身(からみ)で帰ってきたらしい。婆さま、
「繁次郎、よその人ァみんなみがきニシン“たで”で一本ずつもらって来てらもの、お前(め)バリ、どうして何も持たねで帰ってきた」
と聞いたら、繁次郎は、
「婆ァや、俺だテみがきニシンもらって来たネ」
というた。
「どら、どこネある」
そしたら繁次郎、ふところから一本、みがきニシンをとり出して、床に突っ立てて、こういうた。
「婆ァや。みがきニシン、“立で”で一本」
婆さま、あきれて、つくづく我が子の顔を見たと。
とっちぱれ。
挿絵:こじま ゆみこ
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昔、駿河(するが)の国、今の静岡県の安倍というところに、亭主(ていしゅ)に死なれた母親と二才の赤ん坊がおったそうな。母親は、毎日赤ん坊をおぶってはよそのお茶摘みを手伝って、やっと暮らしておったと。
「江差の繁次郎「みがき鰊、たでで一本」」のみんなの声
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