― 山口県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、むかし、周防・長門、今の山口県の農家では、楮(こうぞ)をつくって紙をすき、米のかわりに年貢(ねんぐ)として殿様へ納めていたそうな。
冬の寒い山里での紙をさらす水仕事は、身をきられるようにつらいものだったが、その頃は夜鍋(よなべ)をかけても働かないと、暮らしていけなかったと。
ある山里(やまざと)に、弥兵衛(やへえ)という若い百姓が、女房と二人で紙をすきながら細々(ほそぼそ)と暮らしておったと。
女房は村でも指おりのきりょうよしで、心の優しい女だった。二人は貧乏ではあったが心を寄せあって紙をすく、今の暮らしが好きだったと。
その頃、代官所(だいかんしょ)には勘場(かんば)といわれる所があって、出入り商人や年貢などのソロバン勘定をする役人がおった。
その勘場の役人がひとり、ある日から、弥兵衛の家へほとんど毎日やってくるようになったと。
仕事場に陣どり、
「いやあ、いつ見ても別ぴんじゃのう」
「おっ、これはすまん。ここの別ぴん女房どのの煎(い)れてくれる番茶は、また、格別うまくての」
「それはどうするんだ。おっ、そうか、そうか」
「うむ、よい紙が出来たな」
とかいうて、問うたり、誉めたりしておったと。
弥兵衛は、そんな役人が居ても居なくてもいつに変わらなく紙すきに精を出していた。
夜鍋仕事(よなべしごと)もひと段落し、茶を呑みながら弥兵衛が女房に、
「あのお役人、今日は来なかったので、仕事がはかどったな。それにしても、熱心なお役人だな」
というたら、女房は、
「あたし、あの人なんだか気味悪い。二心(ふたごころ)ありそうで」
というた。
二人は知らなかったが、実は昨日、あの役人が弥兵衛の家からの帰り道で、
「たいがいの者なら、これだけ儂(わし)が訪(おとな)えば『どうぞお納め下さい』とかいうて、すきあげた紙一束(ひとたば)くれたり、金のいくらかでも包んで渡してくれるもんじゃが、弥兵衛のやつめ、あうんのこころを知らん。ようし、いまに見てろよ」
と、つぶやいていたのだった。
そして、その役人は、ぷっつり弥兵衛の家に来なくなったと。
ある日のこと、勘場から弥兵衛に呼び出しがあった。
「なにごとじゃろう」
と、弥兵衛が案じながら勘場に行くと、代官が、
「このごろお前が納める紙は、どうしようもなく質が悪いぞ」
といい、納めた紙を突き返してよこした。
その紙を見ると、自分が納めた物とは異(ちが)っていて、実に質の悪い紙だったと。
弥兵衛は妙に思ったが、替わりの紙をすいて納めたと。
また、呼び出された。
「まえにも増してこのような悪い紙を納めるとは、ふとどきなやつ」
と、おしかりを受け、また突き返されたと。
しかし、それも自分で納めた紙ではないことがすぐに判(わか)った。
「お代官様、おそれながら申し上げます。これは、わたしがお納めしました紙ではございません」
「つべこべいうな。みぐるしいぞ」
とりつくしまもなく、弥兵衛は怒られた。
こんなくり返しが三度、四度とあって、そのたびに弥兵衛と女房は、夜も寝ないで紙をすき、念には念を入れて質の良い紙を納めたと。そうしてはまた、突き返えされる紙は、身に覚えのない悪い紙だったと。
ある日、弥兵衛は、代官から、
「お前の物とはちがうというが、何か証拠でもあるのか」
と詰め寄られた。弥兵衛にひとつの思案が浮かんだ。
弥兵衛は、己れの髪の毛を切って、紙の隅に一本ずつすきこみ、目印にして納めたと。
また呼び出しを受け、また、質の悪い紙をつき返えされた。
「お代官さま、これはわたしが納めたものではございません。わたしが納めましたものには、目印があります」
「なんじゃ、目印とな」
「はい、わたしの納めた紙の隅には、わたしの髪の毛を短かく切り、一本ずつすき込んであります。ようくお調べ下さい」
代官が家来(けらい)に命じて調べさせたら、髪の毛が隅にすき込んである紙がたしかにあり、しかも一番出来が良いと評価された紙だった。
代官は、すぐさま勘場の役人の誰かのはかりごとがあったことに気づいたと。
が、今この場でそれを認めたら、代官所の信用が落ちることになる。あいてはたかが百姓と、すばやく頭をめぐらせた。
「その方、御上納(ごじょうのう)の紙に、けがらわしいゲスの髪の毛をすきこむなど、恐れを知らぬふとどき者じゃ。許しておけぬ。引き立てい」
と声をふるわせて申しわたしたと。
弥兵衛は、女房に会うことも許されないで、次の日、朝早くに首を斬(き)られてしまったと。
代官が気がついた勘場役人のはかりごとは確かにあった。かつて、弥兵衛の家に毎日訪れていた役人が、わいろを出さない弥兵衛をおとしいれてやろうとして、弥兵衛の納めた紙を別の悪い紙とすり替えては、代官に見せていたのであった。
弥兵衛の首が斬られたその晩から、その勘場の役人は理由(わけ)のわからない熱病にかかり、髪の毛をかきむしって苦しみつづけて、とうとう死んでしまったと。
これきりべったりひらのふた。
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むかし、信濃(しなの)のある村の坂の上にポツンと一軒家(いっけんや)があり、ひとりの婆(ばば)さが住んでおった。 婆さは男衆(おとこし)が呑(の)む酒を一口呑んでみたくてしようがなかったと。
「紙すき毛すき」のみんなの声
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