― 兵庫県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、ある村に、おりゅうという器量よしの娘(むすめ)がおったそうな。
おりゅうは、峠をひとつ越えた町のお屋敷へ奉公(ほうこう)に行っておったと。
その峠には、太くて高い柳(やなぎ)の木が一本あって、峠を越えるときには、必ずその柳の木の下でひと休みしておったと。
あるとき、おりゅうが峠にさしかかると、柳の木の下に若い男がいたそうな。
ひと休みしながら言葉を交(かわ)すうちに、ふたりは好き合うようになったと。
それからというもの、おりゅうは夜になると、そおっとお屋敷を抜け出し、脇目(わきめ)もふらず峠の柳の下へ行くようになった。
眠る時間を惜(お)しんだおりゅうの身体は、日が経(た)つにつれ、だんだん弱って、とうとう里(さと)の家(いえ)に引きとられたと。
おりゅうが床(とこ)に伏せって何日か経った夜、風がゴォッと吹いて、木の枝葉がゴワゴワ鳴った。
ふと目をさましたおりゅうのかたわらには、男が座っておったと。
そして、夜も白みかけた頃、男は帰って行った。あとには、どうしたわけか柳の葉が一枚落ちていたと。
次の夜も、その次の夜も風がゴォッと吹いて、木の枝葉がゴワゴワ鳴ると、男は訪ねて来たと。男が帰ったあとには、やっぱり柳の葉が一枚落ちていたと。
そんなある夜、男がさびしそうな顔をして言った。
「もうお前にも会えんようになる。今日は別れを言いに来た」
理由(わけ)をたずねたおりゅうに、男は打ちあけたそうな。男は、実は、峠の柳の木の精だったそうな。
そのころ、京の都に三十三間堂を建てる話が出ていたそうな。三十三間も伸びた木はめったにあるもんじゃぁない。それで、峠の柳の木を棟木(むなぎ)に使うことになったそうな。
「明日には木挽(こび)きが大勢来て、俺を切るだろう」
おりゅうも男も黙りこんでしまったと。
次の日、峠には大勢の木挽きがやって来た。
柳の木を切り始めたが、何しろ太くて高い木だったから、一日や二日で切れるものではない。
晩方になって、木挽きが「また明日やるまいか」と仕事じまいして、次の朝行ってみると、切り口(くち)は元どおりにくっついているそうな。
あくる日も、そのまたあくる日も同じことがおこる。
気味悪くなった木挽の親方が鎮守(ちんじゅ)様にお伺いをたてたと。そうしたらその晩、夢ざとしがあったと。
「仕事場に火をたいて、木くずが出るかたはしから燃やすがよい」
こんな夢ざとしだったと。
そのころ、おりゅうの夢枕にも柳の木の精があらわれて、
「いよいよ明日は切られてしまう。切られたあと、俺はてこでも動かんつもりだ。そこでおりゅう、お前が来て俺をひいてくれ。いいね」
こう言ったそうな。
さて次の朝、木挽きの親方は、仕事場に火をたいて、木くずをどんどん燃やした。柳はどおっと倒れたそうな。
それから、切った柳を台車に乗せて京へ運ぼうとするけど、柳はびくとも動かないのだと。困り果てているところへおりゅうが来た。 おりゅうが、柳の木に何事かをやさしく話しかけてから、先頭に立って台車の綱を引くと、台車は、すうっと動いたと。
それで大柳をやっと京の都へ送って、三十三間堂がめでたく出来上がったそうな。
いっちこ たぁちこ。
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昔、豊後(ぶんご)の国、今の大分県大野郡野津市に、吉四六(きっちょむ)さんという面白い男がおった。頓智働(とんちばたら)きでは、誰一人かなう者がないほどだったと。
「おりゅう柳」のみんなの声
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