貧乏の神がいるか、いないかだけで、こんなに違うんだ。( 10歳未満 / 男性 )
― 秋田県男鹿市 ―
語り 井上 瑤
話者 泉 りさ
採集・再話 今村 泰子
整理・加筆 六渡 邦昭
むがし、父(てで)と母(あば)と子供(こども)の三人居(い)てあったわけだ。
貧乏(びんぼう)で貧乏で、正月来たて食う物なも無(な)ぁふでナ、銭(じぇん)コはだけて、
「今夜年取りだんて、米コ買って来て、飯(まま)炊(た)いて食うど」
どで、その子さ、米買わせに行かせた訳(わけ)だ。
したけ、その子、間違(ちが)って炭買って来た訳だ。
「今さら炭もどしに行くたて暗くて行くごともならねし、ンだら、今夜、飯食わねたて、その炭あるだけ囲炉裏(いろり)さグワンとくべて、熱火(あつび)さあだる」
どて、あだっていだ訳だ。
挿絵:福本隆男
その火、ガンとおこしたば、囲炉裏の四づの隅(よつづのすみ)がら、けだものコ、ベロ、ベロ、ベロ、ベロと四匹(よんひき)出はって、チョロ、チョロ、チョロ、チョロて行ってしまった訳だ。
父ナ、その跡(あと)ついで行ったけナ、けだものコ、
「おら貧乏の神で、あんだに(あんなに)火たく家にだば、熱うて居られねぁんて(いられないから)、火のたかね家さ行く。ずっとむこうの、あの村はずれの家だば、辛(しわ)んぼうで火もたかねぁんて、そごの家さ行く」
どて、チョロ、チョロ、チョロ、チョロて、村はずれの家さ入って行ってしまった訳だ。
そごの家ナ、それがらすぐに貧乏になってしまったど。
父と母と子供の家ナ、貧乏の神出て行ってがらというもの、なんにをやってもあんばい良(え)ぐてナ、銭(じぇん)コもうげて、金持ちになって、三人楽しぐ暮(く)らしたど。
とっぴんぱらりのぷう。
貧乏の神がいるか、いないかだけで、こんなに違うんだ。( 10歳未満 / 男性 )
とんと昔、あるところに何代も続いた大きな家があった。 土佐では、古い家ほど火を大切にして、囲炉裏(いろり)には太い薪(たきぎ)をいれて火種が残るようにしよったから、家によっては何十年も火が続いておる家もあったそうな。
「貧乏の神」のみんなの声
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