― 山口県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
今はクレジットカードの世の中ちゅうて、まんだ手にもしていない先(さき)の金(かね)を当てにして、物を買(こ)うたり、金を借りたり、そんな風だんが、金ちゅうは、手にしてはじめて使うもんじゃ。昔にこんな話がある。
むかし、むかし、大層(たいそう)日照(ひで)りの続いた年があった。蕎麦(そば)をまきたくとも、雨がひとつぶも降らない。いくら待っても日照りばかり。
かといって、まきどきをはずすと実がならん。とうとう、思いきってまいたと。
何日かたって孫が畑へ行ってみたら、蕎麦が生(は)えていたと。それを見て孫が大層喜び、畑から大いそぎで帰ってくると、大きな声で、
「爺(じい)さ、爺さ、蕎麦がはえちょるでの、雨が降らんけえ生えんかと思うたが、生えよらぁな」
というて、大さわぎだ。それを聞いた爺さが、
「へえーん、そうかぁの、蕎麦は少々(しょうしょう)日照りでも生えるちゅうことじゃが、今年のように日照りじゃぁどうかと思うたが、生えたかや」
というた。そしたら孫が、
「はあ、心配ないでの、爺、蕎麦は食えるでの」 と、はしゃいでいうた。爺は、
「うんな、まだ分からん。ものちゅうもんは、そねえ早よう騒ぐもんじゃない」
といさめたと。
それから何日かたって、孫が畑へ行ったら、蕎麦が大きくなって、うまいこと花が咲いた。
「爺さ、爺さ、畑一面蕎麦の花が真っ白う咲いちょるで、今度ぁ蕎麦は食える」
「うんな、うんな、まだ分からんて」
それからまた、何日か経(た)って、畑へ行ってみた孫が爺に、
「爺さ、爺さ、今度こそ心配ない。真っ黒い三角の実がいっぱいなっちょるけえ。今年は本当によう出来ちょる様(よう)なで。はあ、まちがいない。蕎麦は食える」
というと、爺さ、
「ものちゅうものは、そねえに、やぁやぁ言うもんじゃなあ。最後のどたんばまでは分からんもんじゃて」
と、いうた。
「まぁ、うれたちゅうんなら、蕎麦刈(か)りしようやぁ」
ということになって、蕎麦を刈って、干(ほ)して、それから家へ持って帰って、たたいて、いよいよ蕎麦の実になったと。孫が、
「早よう蕎麦食べよう。蕎麦食べよう」
というから、早速(さっそく)、臼(うす)へかけて粉をひいて、もろぶたへ入れて台所へ持って行った。
孫はそれを見て、やぁやぁいうて喜んだと。 囲炉裏(いろり)の端(はね)で、濃いいい茶を煮出して、茶碗(ちゃわん)に蕎麦の粉をいれて、グルグル、グルグルまわして、いよいよかき蕎麦が出来上ったと。
それを見た孫が、
「爺さ、爺さ、いよいよこれで蕎麦が食えるでの。今度ぁ、なんぼう爺さでも『んんなぁ未だ分からん』たぁ言うまぁの」
というたと。ところが、爺さ、また、
「んんな、未だ分からんてい。いよいよ口(くち)に入るまでは分からんてい」
というんだと。そしたら孫が、はぁはぁ笑(わろ)うて、
「爺さちゅうなぁ、なんと念(ねん)がいっちょるのう。これでも未だ分からんちゅうじゃけえ」
というた。
そしたら、どうしたはずみか、つい、茶碗がコロッとひっくり返って、前の囲炉裏の灰の中へ、ころげ落ちてしまったと。すると爺さ、
「そうら見いの。ものちゅうものは、いよいよ終(しま)いまで分からんちゅうんじゃい。今かたまで笑うていたが、どうかぁの」
というたと。
これきりべったりひらの蓋(ふた)。
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「まぁだまだわからん」のみんなの声
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