― 山形県 ―
再話 六渡 邦昭
語り 井上 瑤
むかし、加藤清正(かとうきよまさ)が戦で朝鮮(ちょうせん)に行ったときのこと。
陸上では負けしらずの戦いぶりであったが、海上では日本の水軍が負けた。海上封鎖(かいじょうふうさ)されたので、日本からの補給(ほきゅう)がなくなったと。
冬が来て、寒さは寒いし、食べものは無いしで、朝鮮の現地(げんち)から豆を取り上げ、その豆を煮て、弁当にして持って歩いたと。
春になって、その汁がしたたるもので、どうも具合が悪い。
そこでワラの苞(つと)へ煮豆(にまめ)を入れて背負って戦っていた。
一日目はなんともなかったが、二日目になって煮豆が糸ひいておかしくなった。
「こりゃ、腐(くさ)ったようだ。食うちゃならん」
と、誰(だれ)かが言うたら、他の武士が、
「かというて、他に食うものはないぞ」
というた。
「そうだ、こんなにいっぱい捨てるのは惜(お)しい」
「なあに、せいぜい腹(はら)こわすぐらいじゃ」
という者(もの)がいて、ある武士が、ワラ苞(づと)に指を突っ込んで食うたと。そしたら、
「いや、こりゃなんと。
うまい、こりゃうまいぞ」
と、いうて、むしゃむしゃ食べた。
そしたら、他の武士たちも、つられて食べたと。
挿絵:福本隆男
「うむ、こりゃなんだ。ただの煮豆で食うよりも力がつきそうだわい」
というものがいて、みなみな「なんと」「なんと」といいながら食べたと。
なんとうまい、なんとうまいというのがいつの間にかなまって、納豆というようになったと。
もうひとつ
むかしむかし、あるひとが、春先に、味噌(みそ)を造(つく)ろうとしたそうな。
煮(に)た大豆(だいず)を五合(ごごう)と糀(こうじ)を五合と、塩(しお)を五合用意して、それらを臼(うす)に五合混ぜに入れた。さて、搗(つ)こう思ったところが、人が呼びに来て、急な用事が出来た。
用事をたしているあいだに、煮豆(にまめ)が冷(さ)めるといけないと思い、臼の上に蓆(むしろ)をかけ、更にその上にワラをかけておいたと。
すぐに終わると思った用事がなかなか終わらなくて、次の日までひきずってしまったと。
次の日、さて前日の続きをしようと思い、臼にかけておいたワラを除(の)け、蓆(むしろ)をとって、さあ搗(つ)こうとしたら、なんと、豆からネバッコイ糸がズルズル、ズルズル出てしまっていた。とても搗(つ)ける状態ではなかったと。
挿絵:福本隆男
「あやぁ、もったいないことした」
と、なげいて、指でとって、そおっと匂(にお)いをかいでみた。
「匂いは悪くねぇなぁ」
おそるおそる口へ持って行った。舌(した)に触(さわ)った感じでは、どうも腐(くさ)ったものでもないらしい。かんでみた。そしたらなんと、食わんねえどころか、うまいものになっていた。
「なんとうまいもんだ」
と、喜んだと。
嬉しくて、たくさんのひとに食べさせたらそれがみな、「なんと」「なんと」という。
「なんと」がだんだん「なっとう」になり、ワラヅトに納(おさ)めて保存するようになったので、納める豆と書いて「納豆」というようになったのだと。
どんぴんからりん すっからりん。
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