― 山形県 ―
語り 井上 瑤
再話 武田 正
整理・加筆 六渡 邦昭
昔あったけど。
弘法(こうぼう)さまていう偉(えら)い坊(ぼう)さまが、あるとき旅してらして、河原(かわら)で昼飯にするごとにしたど。土手(どて)さ座(すわ)て、きれいな川の流れば眺(なが)めながらど思て、さて包(つつみ)解(と)いでみだれば、箸(はし)忘れで入って無えじょん。
代わりに何がなえべがど周り見まわしたら、すぐ傍(そば)さ笹(ささ)やぶあっさげ、そっから良さそなの選(えら)んで二本手折(お)って来たど。
ほの箸で、まず入れ物のフタさくっついだ飯粒(めしつぶ)ば粗末(そまつ)しなえで食べだ。弘法さまのごんだ、どこさもこぼさなえで、さっぱりといただいたべ。ほれでも念(ねん)押(お)して、食い終(お)えだ箸ばよっくなめで、川さ流したけど。
でも、不思議なごどもあるもんだ。
投(な)げた箸は下流(しも)さ流って行ぐなぁ本当だべが。なぜしたが、上流(かみ)の方ちゃ浮(う)いて行ぐじょん。
弘法さま、これは何かあんぞと思て、追(ぼ)いかけで川さ手ぇつっ込(こ)んで箸ば拾(ひろ)い上げで見だど。
ちょっと見は別に変なところもなえけどもよっく見たれば、なるほど、笹だもんださげ中が洞(うろ)で穴(あな)あいでる。そこさ飯粒詰(つま)ったの見つけだど。
これだ、これだ。気がつがなえど重い罰(ばち)かぶるどごだった。これは神仏(しんぶつ)の教訓(おしえごと)にちがえない。どて、弘法さま、そう悟(さと)って、その箸ばおし頂(いただ)いてから口で飯粒ば吸(す)い込んだど。
ほれがら箸ば川さ入れだら、こんだはスイスイと下流さ流って行くんけど。
これがらは二度ど、こうゆう粗末なこどしなえがらど、弘法さま手合わせで詫(わ)びで、ほっどして、また旅続けなさたけど。
んださげ、笹竹みでえな洞なもんで箸使うの気ィつけなんねな。
河原で飯食う時、どんな箸こさえっと良いがで言えば、柳だどえっぺい生えでっし、枝もまっ直(す)ぐで手頃(てごろ)のようだども、柳箸ぁ仏さまの箸で、罰かぶっといけなえ。うつぎも良さそうだども、これまたお骨(こつ)拾いの箸にするもんださげ縁起(えんぎ)悪い。他のもんでは、河原蓬(よもぎ)のの枯茎(かれくき)とが、もぢろん萩(はぎ)などは良(え)がんべちゃ。
んでやな、山で昼飯つかった後、箸ば二本そろえで、真ん中から折り曲げで投げてくんべ。あれはなしてだど言うどな、山姥(やまんば)みでえな化物(ばけもの)に追っかけらんなえ呪(まじない)だど。
青物採(ど)りや茸(きのこ)採りなど行って、ふだん人間も通らなえような汚(よご)れのなえ所を荒(あ)らし回っさげ、山姥がおごってしまう。
ほして弁当つかった人間の匂(にお)いかぎつけらって、後追っかけられる。
そんとぎ、捨(す)てた箸ば化物が見つけっと、奇態(きたい)なことに化物の足あ止まってしまうなだど。
箸、真ん中がら折れで曲がってっさげ、への字の形になってんべ。ほれ、二本合わせたら口の字になんべよ。
いま昼飯して行った者は、こげた口してんなか、これぁ人間よりまっとでっけえ生き物にちげえなえ。これでや追っかけでみでも、とてもかつがれめえし、たとえ手向かっても勝味(かちみ)がないど諦(あきら)めて引返して行くど。
んださげ、山で弁当つかったら、ほごさ箸ば折り曲げて置いで来るもんだてな。
どんべからんこ なえけど。
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むかしあったけど。あるところに若い夫婦がいてあったと。夫なる男は大層臆病者で、晩げには外の厠へ一人で小便にも行けないほどだと。妻は夫の臆病を治してやるべとて、夕顔のでっこいのを六尺棒に吊るして門口さ立てておいたと。
「野山で使う箸」のみんなの声
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