― 大分県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
どんな時代、どこの町にも、一人や二人、必ず楽しい人物がいるものです。
なまけ者であったり、おどけ者であったり。そのくせ、とっぴょうしもない智恵(ちえ)があって権力を振りかざす役人、庄屋(しょうや)を、きりきり舞いさせる。
こんな人がいると、ついつい世間話にのぼりがち。
そのうち、おもしろい話があると、すべてその人物に結びつけられていく。
こうして、いくつもの話が出来上る。
昔から語り継がれた人物に、吉四六(きっちょむ)さんという人が居ます。
本当の名前は、広田(ひろた)吉右衛門(きちえもん)と言い、大分県野津市(のついち)の役場裏にお墓があります。
数ある吉四六さんの話の中から、『ネズミの彫(ほ)りもの』
むかし。
ある時、吉四六さんがふらりと庄屋の家に立寄(たちよ)るとな、
庄屋は、ネズミの置物を手に取って、ひとり悦に入っておった。
「おお、吉四六どんか、よいところに来た。お前、左甚五郎(ひだりじんごろう)の彫り物は、まだ拝んだことがあるまい。これは我家の家宝じゃが、特別に見せてやるからこっちに上れ」
と、言う。
こう勿体(もったい)ぶられると、負けず嫌いの吉四六さん、意地(いじ)でも反抗(はんこう)したくなる。
「ふうん、庄屋さん、わしの方にもネズミの彫り物があるが、これよりよっぽど出来が良い」
庄屋の顔が、だんだんけわしくなった。
「これが本当なら、明日、くらべてみよう」
「承知(しょうち)しやした。お互いのネズミをくらべち見ち、勝ったら、負けたものをもらうっちゅう事にしましょうや」
行きがかりの意地っ張りから、妙な約束が出来たが、後には引けない。
その夜、吉四六さんは、一丁のノミを取り出し、薄暗(うすぐら)い行燈(あんどん)の下で彫り物を始めた。
次の日、庄屋の家に持って行き、庄屋のネズミと並べて置いた。
が、どう見ても、吉四六さんのは不細工(ぶさいく)だ。
それでも吉四六さんは自信たっぷり、
「お互い、ヒイキ目で見ても始まらん。これは、猫に勝ち負けを決めてもらいやしょう」
と、庄屋の飼い猫をつれて来た。
すると、猫は、ちょっとの間、ためらっていたが、さっと、吉四六さんのネズミに跳(と)びつき、それをくわえて表に逃げ出してしまった。
「そうれ、わしの勝ちじゃ。約束通り、こいつはもらっちいきやす」
庄屋のくやしがること。
実はな、吉四六さんの彫ったネズミはな、カツオ節で彫ってあったんだと。
昔まっこう猿まっこう、
猿のお尻は まっかいしよ。
※大分県野津市を、語りでは「おおいたけんのづいち」と言っておりますが、正しくは「おおいたけんのついち」の間違いです。
お詫びして訂正いたします。
なお現在の正式な住所は、大分県臼杵市野津町大字野津市 となっております。
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むかし、あるところに山のネズミがあった。山のネズミの食べる物はどんぐり、栃(とち)の実、アワにヒエだったと。山に雪が降って、食べ物をさがすのが大変だ…
「ネズミの彫りもの」のみんなの声
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