― 京都府 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
今からざっと三百五十年ほどむかし。
丹後(たんご)の国(くに)、今の京都府の日本海に面したあたりにある宮津(みやづ)地方では、田植が終ったにもかかわらず、一粒の雨も降らなんだときがあったそうな。村人たちの間(あいだ)に、
「これはきっと竜神さまのたたりじゃ」
といううわさが広まったと。
そこで不安になった村人たちは、成相寺(なりあいじ)の和尚さんに雨乞(あまご)いのお祈りを頼んだと。
「今、この天(あま)の橋立(はしだて)に日本一の彫(ほ)り物(もの)の名人が来ておる。その人に竜の彫り物を彫ってもらえば雨を呼ぶことが出来るであろう」
と、和尚さんは仏のお告げを村人たちに教えた。
村人たちが手分(てわ)けして探してみると、和尚さんの言う通り、左甚五郎(ひだりじんごろう)という彫り物名人が天の橋立の宿に泊っておった。
しかし、村人たちに竜の彫り物を頼まれた左甚五郎は、一度も本物の竜を見たことがなかったと。いいかげんなものを作るわけにはいかない左甚五郎は、成相寺の本堂(ほんどう)にこもり竜の姿を見せてくれるよう、仏さまに一心(いっしん)に願ったと。
なんにちか経(た)って、願いの際中(さいちゅう)に半分さめたような、半分眠(ね)たような状態になった。心の中が真っ白になっておったら、仏様があらわれて、
「この寺の北の方角に深い渕(ふち)がある。その渕で祈れば、きっと竜が現れるはずじゃ」
と、いわれたそうな。
早速、甚五郎は案内人の男と二人で世屋川(せやがわ)に添って北の方へ歩いて行った。奥地へ、行くが行くが行くと、やがて昼日中(ひるひなか)でも陽(ひ)が差し込まないほどの深い森が待っていた。
案内人が恐(こわ)がって前へ行くのをしぶったと。
ただひたすら竜を見たい一心の甚五郎には恐さも、疲れも、何も感じなかった。
甚五郎は一人で奥へ分け入ったと。そうして、ついに大きな渕にたどり着くことが出来たと。
渕に突き出た岩の上に座禅(ざぜん)を組んだ甚五郎は、三日三晩そのまま祈り続けた。そうして四日目の朝が来た。
あたりに森に棲(す)むものたちのざわめきが聞こえ、朝日が甚五郎を照らしはじめた。甚五郎の体がすこしずつ暖ったまりだしたとき、突然、小鳥たちのさえずりが止(や)んだ。急にあたりが暗くなったと思ったら、大粒の雨が降りはじめた。そのとき、渕の底から、大きな竜がたち現われた。
竜は口から真赤(まっか)な火を吐きながら、今にも甚五郎に襲(おそ)いかかるふうだ。
甚五郎は逃げようともせん。それどころかもっとよく見ようと、目をカッと見ひらいた瞬間(しゅんかん)、竜の姿はもうかき消えていたと。
甚五郎は成相寺に帰り、自分の目で見た竜の姿をひとつ残らず形にしようと、何日も何日も彫り続けたと。
やっと彫りあがったとき、甚五郎の体はすっかりやせて、目だけが燃えるように光っておった。
竜は成相寺にかかげられ、雨乞いの祈願が行われたと。
すると不思議なことに、今まで晴れていた空がにわかに曇(くも)り、雨が降り出した。
村人たちは小踊(こおど)りして喜んだと。
今にも枯れそうだった稲もすっかり息をふきかえしたと。
甚五郎が竜に出会った渕は、それ以来「竜ヶ渕」と呼ばれるようになり、甚五郎が彫った竜は、今でも成相寺に大切に残されているそうな。
むかしのはなしのたねくさり。
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むかし。相模湾の三ツ石の沖にサメの夫婦が住んでおったと。夫婦は、ここへ漁師の舟が来ると追い返しては、子ザメを守っておったと。「三ツ石へ行くでねぇ。主のサメにおそわれるぞ」と、漁師たちは、この沖を地獄のように恐れて近寄らなかったと。
むかしあったけど。あるところに若い夫婦がいてあったと。夫なる男は大層臆病者で、晩げには外の厠へ一人で小便にも行けないほどだと。妻は夫の臆病を治してやるべとて、夕顔のでっこいのを六尺棒に吊るして門口さ立てておいたと。
昔、昔、あったと。 日本(にっぽん)の狼(おおかみ)のところに、天竺(てんじく)の唐獅子(からじし)から腕競(うでくら)べをしよう、といって遣(つか)いがきたそうな。日本の狼は、狐を家来にしたてて、天竺へ行ったと。 天竺では唐獅子と虎が待っていた。
「左甚五郎の竜の彫り物」のみんなの声
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