今橋長者と兵庫津の奉仕者との違いが出ていて面白い。工樂松右衛門様もご活躍された地に、このようなお話が残っているのは興味深い。2022年11月に兵庫県立兵庫津ミュージアムがグランドオープンしたので行かれてみてはいかがだろうか。( 50代 )
― 香川県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、大阪の鴻池(こうのいけ)の長者(ちょうじゃ)と、兵庫の漁師の蛸縄(たこなわ)とりとが、四国の金毘羅道中(こんぴらどうちゅう)で親しくなったと。
あれこれ話をするうちに長者は蛸縄(たこなわ)とりにこう聞いた。
「わしの所は屋敷(やしき)が狭うて、どうもむさくるしゅうてならんわい。あなたの所は坪はどれほどありますか」
何坪あるかと屋敷の広さを聞いたのを、蛸縄とりは蛸壺(たこつぼ)のことかと勘違(かんちが)いをして、
「へえ、壷(つぼ)なら、千(せん)ほど」
と答えたと。そしたら長者は、また、
「ほお、そないに広いんな。わしの所は屋根は瓦葺(かわらぶ)きじゃが、お宅は」
と聞いた。蛸縄とりは、すまして、
「胡麻(ごま)の柱(はしら)に萱(かや)の屋根(やね)、月星(つきほし)を眺める、といったところじゃろうか」
と答えたと。
長者はいよいよ驚(おど)いて、
「ほほう、五万本の柱とはえらいこっちゃ。それに、月や星を眺められるとは、またえらい風流(ふうりゅう)な造(つく)りでんなあ」
と感心しきりだと。
今度は蛸縄とりが、
「わしん家にゃ、息子があるがのう、釣り合(お)うた嫁が無(の)うて、困っとる」
というと、長者は、
「それほどの家柄(いえがら)なら、なかなか釣(つ)り合うた者はないやろ。幸い、うちには娘がある。では、わしの娘を嫁にもろうて下さいな」
と頼んだと。
これには蛸縄とりもおどろいた。目をぱちくりしていたら、
「あとで番頭を伺わせますよって、あなたの名前を教えて下され」
という。
蛸縄とりは、こりやいかん、話がかけちごうとる、と思ったが、今さら、わしゃ貧しい漁師じゃ、ともいえん。口から出まかせに、
「わしは、北風じゃ」
と答えたと。
こうして、二人は金毘羅まいりをすませて別れたと。
鴻の池に戻った長者は、早速、
「兵庫の、北風ちゅう網元を見て来てくれ」
と番頭に命じた。
旅に出た番頭が兵庫の海の近くの町で出会った人に、
「北風さんの所は知りまへんか」
と尋ねた。すると町の人は、北風の吹き荒れる漁師町のことかと思って、
「北風のあるところは、漁師の道具なら一揃え干(ほ)してあるから、すぐにわかる」
と答えたと。
番頭は町の者でもこういうくらいだから、よほどの網元だと思って、
「これなら、わざわざ行くこともあるまい」
と鴻の池に帰って報告したと。
いよいよ嫁入りの日、
長者の娘は、嫁入り道具を荷馬車(にばしゃ)に山ほど積んで北風の家に向かった。
着いてみると、なるほど蛸壺は千ほど並べてあったが、北風の家は、胡麻粒(ごまつぶ)をとる胡麻の木の柱に、むしろを敷いただけのあばら屋で、草葺(くさぶ)きの屋根には穴が開(あ)いて、たしかに月星を眺めることの出来る家だったと。
娘は悲しくなったが、
「これも私の持って生まれたご縁でしょう」
といって、北風の家に嫁入りしたと。
北風の家は、嫁の持って来た金を元手に大きな船を買い、船主(ふなぬし)になって漁(りょう)をしたと。
それからというもの、何もかにもうまくいって、ほんとうの大分限者(おおぶげんしゃ)になったと。
そうじゃそうな、候(そうら)えばくばく。
今橋長者と兵庫津の奉仕者との違いが出ていて面白い。工樂松右衛門様もご活躍された地に、このようなお話が残っているのは興味深い。2022年11月に兵庫県立兵庫津ミュージアムがグランドオープンしたので行かれてみてはいかがだろうか。( 50代 )
昔、あるお寺に和尚さんと小僧さんがおったと。 和尚さんは毎晩餅(もち)を囲炉裏(いろり)で焼いて食べるけんど、小僧さんにゃ、ちっともやらんので、小僧さんは、どうにかして餅を食べる工夫はないもんかと思案しちょったそうな。
「北風長者」のみんなの声
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