― 山形県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、あるところに貧乏な夫(とと)と妻(かか)があったと。
二人は、朝は朝星(あさぼし)の出ているうちに畑へ行き、夜は夜星(よぼし)をながめながら帰ってくる毎日だったが、なんぼ働いても暮らしは楽にならなかったと。
ある年の冬、寒(かん)も過ぎた頃、夫と妻、
「そろそろ節分だな」
「はえ、煎(い)り豆(まめ)用の豆なら取り置きしてあるから大丈夫。心配いらねぇ」
「ん、そんなこと心配してねえ。そじゃねぐって、節分には、今までずうっと『福は内、鬼は外』って言ってきたわけだ」
「はえ、家(うち)だけでねぐ、世の中、みんな『福は内、鬼は外』って、豆まいてきだった」
「んだ。んだども、ちいっとも福々(ふくぶく)しくなってねえ。それどころか、食うに困ることだってあった。んだべ」
「はえ、なして(どうして)だべ」
「なしてだか判(わか)んねぇ。判んねえけんど、おれ、このごろ鬼の気持のこと考えてだ」
「はえぇ、鬼の気持って何だべか」
「よくは判んねぇげんども、鬼が困ってやしないかなぁど思ってな。なんぼなんでも、世の中全部から『鬼は外』って言われで、おまけに『鬼の目ん玉ぶっつぶせ』って、豆ぶっつけられたんでは、さぞかし、情(なさけ)ないだべな、と思ってな」
「はえ、そう言わっでみれば、そうだなや」
「おれだちだって、たまに、この貧乏たれって目で、ひとに見られっことあるべ。その目と豆ぶっつけられるのと同じでねぇべか。おれのいやな思いと鬼のいやな思いは、たいしてちがわないんじゃねが、と考えていだったけど」
「はえぇ、夫(とと)、難しいこと考えていだったなぁ」
「どうせ、貧乏暮らしなら、困っている者同志、今年は鬼に優しくしたいと思うが、どうだ」
「はえ。夫のいいように」
「んだか。そんなら」
と、話し合って、節分の晩には鬼を呼ぶことにしたと。
いよいよ節分の晩。
あっちでも、こっちでも豆まきが始まった。
「鬼は外、福は内、鬼の目ん玉ぶっつぶせぇ」
って。
鬼は、どこへ行っても豆をぶっつけられて、
「痛て、痛て、いててー」
いうて、逃げてきたと。そしたら、
「鬼は内、鬼は内」
と呼ばっている家(いえ)があった。
「やれ良(え)がった。みんな、ここの家で休ませてもらうべ」
というて、どがどがと鬼ども、その家に入って行ったと。
夫と妻、囲炉裏で田楽(でんがく)焼いで、ドブロクも用意して待っていたから、鬼共におふるまいしたと。
鬼共ぁ喜んで、一晩中(ひとばんじゅう)酒盛りして帰って行ったど。
帰って行くとき、一番年寄りの鬼が、
「こんな嬉しい節季(せっき)は初めてだ。お礼に痛(いた)み止めの薬の作り方教えて呉(け)る。万病(まんびょう)の痛(いた)みに効く薬だ」
というた。
「酒をもやして、炎の中から、こうして取れよ」
といいながら、実際に薬を作ってみせたと。
鬼共が帰ったあとで、夫と妻、その薬を試して見たら、妻の頭痛がとれて、すっきりした。夫の歯痛(はいた)もケソッと消えた。
この薬を近所の人の腹病(はらや)みに飲ませたら、たちまち効(き)いたと。
そしたら、口(くち)伝(づた)えでほうぼうに報(し)れわたり、売って呉(け)れ、という人がひきもきらずにやってきたと。
薬は売れに売れて、夫と妻はたちまち分限者(ぶげんしゃ)になったと。
これも鬼のおかげだというわけで、今でもそこの家では節分には、
「鬼は内、福は外」
と、豆まきしているっけど。
どんぴんからりん、すっからりん。
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とんとむかし、土佐(とさ)の安田の奥(おく)の中山に、貧乏(びんぼう)な男がおったそうな。 なんぼ働いても暮(く)らしがようならんき、てっきり貧乏神に食いつかれちょると思いよった。
むかし、あるところに富山(とやま)の薬屋があった。 富山の薬屋は全国各地に出かけて行って、家々に置き薬していた。一年に一回か二回やって来て、使った薬の分だけ代金を受け取り、必要(いり)そうな薬を箱に入れておく。家の子供(こども)は富山の薬屋がくれる紙風船を楽しみにしたもんだ。
「節分の鬼」のみんなの声
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