すごくおもしろくて感動しました( 10代 / 男性 )
― 徳島県 ―
語り 井上 瑤
話者 宮井 和衛和尚(善集寺住職)
部分採集・再話 六渡 邦昭
むかし、阿波(あわ)の国は美馬郡郡里村(みまのごうりごうざとそん)、今の※1.徳島県美馬郡美馬町(とくしまけんみまぐんみまちょう)に爺(じ)さと婆(ば)さが暮らしておったと。
ある夏の夕暮れどき、爺さは風呂に入ったと。
「ああ、ええ湯じゃった」
と言うて風呂からあがって、たまげた。なんと、婆さが焚(た)き口で火吹き竹(ひふきたけ)を握ったまま倒れとった。
「ば、ばさ、どうした」
と、あわてて抱き起こしたが、婆さはもう息をしとらんかった。
※1.徳島県美馬郡美馬町:現在の徳島県美馬市
その晩、仏間(ぶつま)で爺さがお経(きょう)をあげていたら、何かが動く気配がした。部屋の中を見わたしても、なあんも変わっとらん。それでも気にはな るので片目(かため)をあけてナムナムナムと唱(とな)えていたら、婆さの顔に被せて(かぶせて)ある白い布がフワァ、フワァーとあがりさがりしだした。
「はあ婆(ばあ)さん、早や幽霊(ゆうれい)になったか。ちゃんとお経を唱えてやるて、しっかり成仏(じょうぶつ)してくれや」
と言うて、声高(こわだか)にナムナムナムとやっていたら、「爺(じい)さん」と細い声で呼ばれた。
婆さが布団から起きようとしとる。
「ば、ばあさん、お前、生きかえったかや」
「わしゃ、どうしたんかんかいなぁ」
「お前、わしの風呂焚いてくれよって、風呂の焚き口で死んでしもうたんじゃが」
「へぇ、ほんならわしゃ、ほんまに戻ったんかいなあ」
婆さ、夢の続き見ているみたいに言うたと。
「戻った言うたが、どっからぞい」
「どこか知らんけど、わしゃ淋(さび)しい道をひとりでトボラトボラ歩いとった。きれいな花が咲いとってなあ……そうや、あの小坊主(こぼうず)さん、どうしたろか」
「小坊主さんって、誰や」
「へぇ、花の道を歩いて行ったら、大きな門があって、そこに小坊主さん、おった。『お婆さん、どこからおいでなさったんや』言うから、『へぇ、わしゃ阿 波から来ました』と言うたら、『そりゃありがたい。お婆さんは未(ま)だここへ来るのは早いけん、早よう去(い)になされ。ほして、すまんけどなあ、同じ 阿波なら頼まれてつかはれ』と、こう言うんや」
「そいで」
「『わしは板野郡(いたのぐん)の沖島(おきのしま)ちゅうところにある善集寺(ぜんしゅうじ)の小坊主やったのやけど、つい先ごろ死んだんだす。
ほんで和尚さんがお墓建(た)ててくれたはいいが、おとなの墓建ててくれたので、こっちでは子供の仲間には入れてもらえん。と言うておとなの仲間にも入れ てもらえん。困っとる。どうぞ子供の五輪(ごりん)の墓にしてほしいと、頼んでつかはりませ。わしの名は良順(りょうじゅん)だす』と言うた。そっから は、何が何やらわからんようになったのや」
「夢みとたんやな。ともかく生きていてよかった。よかった」
お葬式(そうしき)せんならんところがお祝(いわ)いに変わった。ところが婆さ、ひどく考えこむ風だ。
「爺さんは、夢だ、と言うけんどわしゃ夢とは思えん。爺さんわしの変りに沖島へ行って下され」
「あほなことを」
爺さは取り合わん。が、婆さが毎日毎日そのことをせがむんで、爺さは根負(こんま)けしてでかけたそうな。
すると、※2.川内村(かわうちそん)の沖島に確かに善集寺があった。和尚さんに会って、わけを話すとたまがって、
「確かに良順という小坊主はおりました。実はわしは近頃この寺へ来ましてな。移って七日目に良順がなくなりましたもので、年も十四やら十五やらようわからず、そこでふつうの墓石にしましたのじゃ。では良順が子供の五輪の墓にしてくれいと、そう言いよりましたか」
和尚さんと爺さはただただ顔を見合わせておったと。
良順の墓は子供の五輪の石塔(せきとう)にかえられたと。
この石塔は昭和三十年頃まで五輪の頭の丸い部分が残っていたが、その後六地蔵(ろくじぞう)さんを作るときにその台座(だいざ)に使われて、今は残っていないそうな。
むかしまっこう。
※2.川内村:現在の徳島県徳島市川内町
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昔、あるところに、ちゅうごく忠兵衛(ちゅうべえ)さんという人があった。なかなかの善人(ぜんにん)だったと。ある冬のこと。その日は朝から雪が降って、山も畑も道も家もまっ白の銀世界だと。寒うて寒うて、だあれも外に出ようとせんかったと。
「冥土からのことづて」のみんなの声
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