― 埼玉県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、あるところに貧乏な男がいてあったと。働き者で朝は朝星(あさぼし)のころから夜は夜星をながめるまで身を粉にして働いたと。
畑や田圃(たんぼ)への行き帰りには、辻(つじ)に立っていらっしゃる石地蔵(いしじぞう)さまに手を合わせ、
「地蔵さま、行ってきますじゃ」
「地蔵さま、帰ってきましたじゃ。今日はこんだけ働きましたじゃ」
と、あいさつやら報告やらしておったと。
ある年のこと、この男の一家、皆してはやり病にかかって寝こんだと。
ちょうど田植えの時季(じき)で、毎日毎日寝ているばかり。そのうち村内(むらうち)では大方(おおかた)植えあげるというのに、まだ起きあがれない。気がもめてならないが、どうすることも出来ずに皆して臥せっていたと。
ある朝、村の一人が田の水かげんを見て回っていたら、みな寝ているはずの男の家の田圃が、きれいに植え上げられてあった。村人が、
「はて、あん家はまだ皆して寝ているはず。人をやとって田植えするほどの金は持っとらんじゃろうし、いったいどうして植え上げたか」
と、あやしんで、よくよく見ると、畔(あぜ)には小さな足跡がいっぱいついてある。不審に思うて、その足跡をたどって行ったら、村内の地蔵堂(じぞうどう)に続いていて、辻に立っていらっしゃる石地蔵さまが手足を泥だらけにしてござらっしゃった。
話はそんだけ。
おしまいチャンチャン。
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むかし。相模湾の三ツ石の沖にサメの夫婦が住んでおったと。夫婦は、ここへ漁師の舟が来ると追い返しては、子ザメを守っておったと。「三ツ石へ行くでねぇ。主のサメにおそわれるぞ」と、漁師たちは、この沖を地獄のように恐れて近寄らなかったと。
「田植え地蔵」のみんなの声
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