― 高知県 ―
語り 井上 瑤
再話 市原 麟一郎
土佐(とさ)で「どくれ」といえば、へそ曲がり、すね者のことを言う。とは言うものの陰湿(いんしつ)な暗さはない。むしろ反骨精神(はんこつせいしん)が旺盛(おうせい)で、権力者(けんりょくしゃ)への抵抗(ていこう)の話が多いから「どくれ」の話は時代を超えて庶民(しょみん)に語り継(つ)がれてきた。
むかし、窪川(くぼかわ)の万六(まんろく)といえば、土佐のお城下から西では誰一人として知らぬ者はない程のどくれであったと。
ある日、あるとき。
旦那(だんな)が所用(しょよう)があって、高知(こうち)のお城下まで行くことになったそうな。
なにしろ汽車(きしゃ)もバスもない昔のことだから、歩いて高知までということになるとワラジの二、三足ではとても足(た)らざった。
そこで万六に、
「今晩の夜業(よなべ)に、高知までのワラジを作っちょけ」
と、言いつけちょいて、旦那は早うから床(とこ)についたと。
あくる朝、まだうす暗いうちから起きて、旦那が納屋(なや)へ行ってみると、灯(ひ)がついていて万六がせっせとワラジを作りよたっと。
「万六、高知行きのワラジは出来ちょるかのう」
「やあ、旦那。なんぼうにも高知までは届きませんのうし。あれから一生懸命に作ったけんど、今ようよう片方が庭の口を出たばかりですらあ」
と、言うのでよく見ると、五メートルもあるような、長い長いワラジを作っておったそうな。
またこんな話もある。
ある日、旦那が万六を呼んで、使いを言いつけた。
「万六、ええか。使いに行くときは、道草をくわんと、鉄砲玉(てっぽうだま)のように飛んで行け」
「やあ、ようがす」
言うが早いか万六は、飛び出して行ったそうなが、それっきりなんぼたっても戻って来んと。
そこで旦那が迎(むか)えに行ってみると、用先(ようさき)で万六が遊んでいる。
「こら万六、急ぎの用件じゃ言うに、こんなところで道草をくうて、なんちゅうことなら」
こう言って旦那が叱(しか)ると、万六はけろりんとした顔で、
「けんど旦那さん、鉄砲玉は飛んで行ったら戻って来やしません」
と言ったそうな。
むかしまっこう さるまっこう
さるのつべは ぎんがりこ。
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むかし、信濃(しなの)のある村の坂の上にポツンと一軒家(いっけんや)があり、ひとりの婆(ばば)さが住んでおった。 婆さは男衆(おとこし)が呑(の)む酒を一口呑んでみたくてしようがなかったと。
「窪川の万六」のみんなの声
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