どういう感じな話だったか全くわからず( 10代 / 女性 )
― 鹿児島県 ―
語り 井上 瑤
再話 田畑 英勝
整理・加筆 六渡 邦昭
盆の十五日に送られたご先祖(せんぞ)さまは、道々自分の子孫(しそん)たちの接待(せったい)ぶりやごちそうの話をしたり、また、土産物(みやげもの)など出して見せあったりするのだそうな。それでこういう話がある。
ご先祖さまが、墓に送られながら道々こう話していたそうだ。
挿絵:福本隆男
一人のご先祖さまは、
「自分の子孫の家では、大変なもてなしで楽しかった。いろいろな供え物がたくさんあり、大好物の赤飯に、青菜の汁などがあって、本当に満足で、もう思い残すことは何もない」
と。
すると、もう一人のご先祖さまは、
「自分の子孫は大変貧乏で、自分の大嫌いな粟飯(あわめし)と干瓢(かんぴょう)だけしか食べさせてくれない。
それに小さい子供がうるさくて仕様(しよう)がないので、そばの地炉(じろ)の中に投げ込んできた。今頃は家中大騒ぎしてるだろう。」
といっていた。
挿絵:福本隆男
この話をある人が聞いて、びっくりして、その家に行ってみると、本当に子供が地炉の中に落ちて大騒(おおさわ)ぎをしていた。
その人は、ご先祖さまが語っていた一部始終(いちぶしじゅう)を話してやったと。
それからは、その家では、粟飯と干瓢は出さなくなったそうな。
盆に子供たちを泣かせたり、騒がせたりしてはいけないというのも、昔にこういうことがあったからなんだそうな。
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