愛する力を与えてくれたということですが、当方はこの年齢になっても未だ愛する人に出会えておりませんが(苦笑)。( 40代 / 女性 )
― 山口県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、昔の大昔。
なんでも、人間ははじめ、夫婦(みょうと)が背中あわせにくっついて生まれてきていたそうな。
あるときのこと、大勢の人間たちが集まって、神さまに、
「わしたちゃあ、背中と背中とがくっついちょるんで、夫婦でありながら我が女房、我が夫の顔を見ることも出来ん。これではなんぼうなんでも情(なさけ)のうございます。
どうか背中を割っていただきとうございます。
前のわしと後ろの妻とが、顔を見られるようにしてください。おたのみ申します」
と、お願いした。
神様は、ちょっとの間(ま)考えて、
「それも、もっともじゃ」
といわれ、御手(みて)を、手刀(てがたな)きるようにバスーっとたてに下ろされた。
そしたら、そのとたん、みんなの背中が軽うなった。背中が割れて、ひとつがふたつになった。
片割れの顔をシゲシゲ見つめあうのがいたり、モジモジし合うのがいたり、「はじめまして」とか「やあ」とか「オウ」とか言うてみたり、なかにはずうずうしいのがいて、「ホォー」というのやら「トホホ」というのやらがあって、とにかく、めでたいめでたい、と大騒ぎ。あっちこっちで抱き合うたり、肩たたき合うたり、とんだりはねたりしているうちに、混じり合うて、どれが己(おのれ)の片割れやら何が何だか分からんようになってしまったと。
景色(けしき)のいいのや心映(こころば)えしそうなのには「俺が夫だ」「あたしが妻よ」というて、幾人も名乗り出てくるのに、だぼはぜやおこぜみたいなのには誰れも来なかったりしたと。
それで人間たちは困ってしまい、また神様に、
「背中割ってもろうてありがたかったですが、片割れがどれがどれやら見分けがつかんようになり申した。これでは連れ合いと会うことが出来ません。なんとかして下さりませ」
と、お願いしたと。すると神様は、
「それじゃあ、愛するっちゅう力を与えてやるから、それをたよりにたずねまわって、片割れをさがし見つけよ」
と、いわれたそうな。
人間たちは、愛するっちゅう力がどんなものやら分からなくて、とりあえず一緒に暮らすものも出てきた。暮らしているうちに、しっくりいくものといかない者があったと。
しっくりいくものは片割れ同志で、しっくりいかない者は片割れでなかったと。
「私、神様が授けて下さった愛するっていう力が感じられないの」
というて別れて、また、片割れをさがしたと。
今でも離婚はあるけど、あんまり深刻にならんでいい。なにせ、大昔にこんな調子だったのだから。
人は誰れでも愛するっちゅう力を授かっていて、いつか必ず、その力を感じる片割れに出逢えるそうな。
これきべったりひらの蓋(ふた)。
愛する力を与えてくれたということですが、当方はこの年齢になっても未だ愛する人に出会えておりませんが(苦笑)。( 40代 / 女性 )
面白い!神様が二人を手刀でバスッーと切って離したり、愛する力を与えてくれて、自分で探しなさいと言うのもいい。 離婚をあんまり深刻にとらなくていい。大昔でもこうやったんだからと言うのもいい。 他の昔話も読みたくなりました。ありがとう!( 50代 / 女性 )
むかし、ある村に藤六(とうろく)という百姓(ひゃくしょう)がおったと。 ある日のこと、藤六が旅から村に帰って来る途(と)中、村はずれの地蔵(じぞう)堂のかげで、一匹の狐(きつね)が昼寝(ね)しているのを見つけた。
むかし、あるところに和尚さんと小僧さんがおったと。ある秋の日、和尚さんと小僧さんが檀家の法事をすませてお寺へ帰る道を歩いていたと。空は晴れとるし、草花は咲いとるし、道端の石に腰かけて、和尚さん一服した。
「夫婦のむかし」のみんなの声
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