― 山形県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔話は子供向けの物語りばかりかというとそうではないわね。大人向けと思われる話もけっこう多いのよね。
昔は子供も重要(じゅうよう)な働き手(はたらきて)だったせいか、村々に少し早めに大人への通過儀礼(つうかぎれい)のようなものがあって、それを済ますと一人前(いちにんまえ)として認(みと)められたの。だいたいが十二、三歳で。それから若衆宿(わかしゅうやど)のような集落の作業小屋(さぎょうごや)に入ることを許(ゆる)されたのよ。
若衆宿では大人と共同(きょうどう)作業をしながら、さまざまな耳学問(みみがくもん)をするの。
そのひとつに性教育的なことがらも含まれていて、男と女にまつわる話も結構語られていたようね。
性(せい)は隠(かく)すものとしてではなく、あるものとして、むしろおおらかに語られていたみたい。
恥(はじ)らいながらも耳をそばだてていた覚えはだれもが持っているでしょ。大人は、己(おのれ)のそんな頃を思い出しながら、新入りをからかって大笑いしていたの。笑いながらの共同作業は仕事がはかどるから。
今日は、そんな若衆宿で語られた話をしましょうか。たまにはいいわね。
昔、この村に風変(ふうがわ)りで面白い夫婦がいたそうよ。
夫婦は山しょう売りでね、あっちの縁日(えんにち)、そっちの祭りというぐあいに出店(でみせ)をひらいて、暮らしを立てていたそうよ。
あるとき、この村の祭りで、出店をひらいていたの。山しょうを山盛りに積(つ)んで。
その向こうに夫が浴衣(ゆかた)一枚だけ着て、褌(ふんどし)もつけないで胡坐(あぐら)かいて店番(みせばん)だって。
そしたら、見物人の一人が、
「やぁや、大将。ずいぶん大きな山しょうだな」
って。
「そうじゃ。これは信州長野(しんしゅうながの)の山奥のドンドロ沼のふちで採(と)ってきた。朝倉(あさくら)山しょうという名物だ。江戸は浅草、金龍山(きんりゅうざん)浅草寺(せんそうじ)の雷門(かみなりもん)さ行って売ったときも、飛ぶように売れた。この村で売るのは勿体ねえくらいの品だ」
って、しれっとして山しょうの説明したもので、見物人たちは大笑いしたって。
挿絵:こじま ゆみこ
「この親父、面白え」
って、山しょう、売れに売れたそうよ。
それをまた、見物していた村の人が、
「あの親父のすっとぼけは本性(ほんしょう)のものだか、今日はちいっと確かめてくるか」
って、山しょう売りの家へ遊びに行ったのね。
そしたら、夫婦で囲炉裏端(いろりばた)にいたので、
「やぁや、昨日な山しょう売っていたときお前(め)のそれな、すばらしく大っきく見えた。そんな立派な品なら、さぞかし力もあろうな。
そこの鉄ビンに水いっぱい入れて、それ引っかけて、炉(ろ)の周囲(まわり)めぐれるか」
って、からかったら、
「いや、そんなこと屁でもない」
って、しれっとして言ったって。村の人、
「なんぼなんでも、そりゃ出来んじゃろ」
って、言ったら、
「ほんなら、やってみっか」
って言って、南部鉄(なんぶてつ)で出来た鉄ビンに水一升(いっしょう)入れて引っかけ、囲炉裏のぐるりをめぐってみせたそうよ。三つ目の角までめぐったら、鉄ビンがだんだん下がって行くんだって。
それを見た奥方、
「負けんらんねえぞ、親父」
って、着物のスソ、ぐらり尻(しり)からげて突き出し、夫の前を歩いたって。とたんに夫も元気づいて、ゆるゆるめぐったそうよ。
挿絵:こじま ゆみこ
とーびんと。
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むかし、越後の国、今の新潟県に源右ヱ門という侍がおったそうな。度胸はあるし、情けもあるしで、まことの豪傑といわれたお人であったと。あるときのこと、幽霊が墓場に出るという噂が源右ヱ門に聞こえた。
「山しょう売り」のみんなの声
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