― 山形県 ―
語り 井上 瑤
再話 武田 正
整理 六渡 邦昭
昔あったけど。 あるどこさ、爺(じ)ぃと婆(ば)ぁいだけど。
家のそばさ大きい松の木生(は)えていでな、まるで、高砂(たかさご)の爺さまど婆さまの住む家だふうだ。
あるどき、どうしたごんだが、家のまわり一面さ洪水(こうずい)押し寄せで、まるで泥海(どろうみ)さ浮いでるみでえなだけど。ほして松の木さば、大蛇(だいじゃ)よじ登って、家ン中ば覗(のぞ)きこんでだなだけど。
なんとがして家ン中さいだ人間ば呑(の)み込むつもりで、ねらったなだべ。
家ン中さいだ爺ぃと婆ぁも、ほれさちっとも気づかなえ風だでや。
爺ぃ、稼(かせ)ぎに出んべど思て腰上げで、戸の口さ出はりかけたどこさ、婆さ声かけたけど。
「爺ッさ、爺ッさ。お茶のんで行げ」
て言うけど。
爺ぃもせっかくだと思て、家から出るのを止めで引っ込んだけど。
とぐろ巻いて、爺ぃ出はて来たどこ一呑みとばり力んでた大蛇としては、当てがはずれてしまたべちゃ。
ほれどごろか、今婆ぁの言(ゆ)た言葉がなんとしても気になっだど。
「『オオジャ(大蛇)呑んでがら行げ』って言ったな。不思議なごんだ。ここにゃ、おれよりもっと大きい者(もん)いるんでないがな。オオジャ(大蛇)呑めとは、こりゃ大変なこったぞ。人間ば呑むどごろか、おれが呑まれるごんだ。早く逃げなぇど、こっちがやらっでしまう」
大蛇(だいじゃ)は、何を勘違(かんちが)えしだが、さっさど、どこかさ姿くらましてしまったけど。
お茶は邪気(じゃき)はらう、て、大蛇追っぱらったわけだ。爺ぃだて戸の口がら引っ返したさげ命拾たべ。
「朝茶は七里戻っても、ご馳走(ちそう)なれ」てな。
しかも「朝茶は二服(にふく)」どて、なんぼ忙しくて腰落ち着けでいらんなえときでも、仏さまの一服茶にはなんなえようにするんだど。
ほれがら、「朝茶三服呑んで出掛で、もし怪我(けが)でもあれば、北野の天神ないど思え」ども言うけどな、これは、三服呑んでも何かあったら、そん時ぁどうしても避けらんなえ災難(さいなん)だったと諦(あきら)めるよりしょうがなえ、ていうごどだんだ。
朝茶にゃ、ほげないわくあんなだど。
どんぺからこ なえけど。
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「朝茶の功徳」のみんなの声
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