― 山形県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
正月七日には七草粥(ななくさがゆ)を食べるもんだけド。
むかし、ある人が、なんだかみんな年取っていくのが不思議で、どうしてだべて考えだれば、
夜、枕神(まくらがみ)立って、
唐(から)の国から、大和(やまと)の国から、鳥飛んできて、栄養のあるものを皆食ってしまうからだ。
んだから、はいつ(そいつ)食われねうちに、こっちの方で食ってしまわんなんね。
栄養のあるもんって何だかていうど、七草だ。春の七草。
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。
こいつば皆、唐土の鳥と大和の鳥とか飛来(こ)ねうちにハア、叩(たた)いて食うてしまう。んだと年取らね。
っていうたど。
ほれからは、どこの家でも六日に準備して、七日に“なんなん叩き”ていうのをやったもんだ。
〽 なんなん七草
唐土の鳥と大和の鳥の
渡らぬうちに
なんなん叩き
七(なな)たたき
ってこういう風に唱(とな)えで、擂粉木棒(すりこぎぼう)で七草を叩いて、七草粥っていうて、お粥(かゆ)にして食べた。
ほうすっど栄養もよかったとみえて、それ以来どこの家でも「七草粥」と「七草たたき」っていうの聞かったもんだけど。
どんぴんからりん すっからりん。
民話の部屋ではみなさんのご感想をお待ちしております。
「感想を投稿する!」ボタンをクリックして
さっそく投稿してみましょう!
むかし、あるところに伝兵衛(でんべえ)という爺(じい)がおった。酒とバクチとケンカが何より好きで、おまけに偏屈者(へんくつもん)であったと。 ある年の節分の晩(ばん)、 「よそと同じように豆まきしてもつまらん。おらとこはあべこべにやる」 「そうれ、福は外、鬼(おに)は内」 というて、豆まきしたと。
むかし、豊後の国、今の大分県臼杵市野津町大字野津市というところに、吉四六さんというとても面白い男がおった。 この吉四六さんの村の山ん中に、気味の悪い大沼があったそうな。 「あそこには、遠い昔から沼の主の大蛇が棲んじょるっちゅうぞ」 「何でも、昔は幾たりとも人が呑まれたっちゅうき」
「七草」のみんなの声
〜あなたの感想をお寄せください〜