あちしは色んな意味で茨木くん推しなので、彼の生い立ちにちょっと同情しちゃいました。( 20代 / 女性 )
― 大阪府 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、千年ほども遠い昔、摂津(せっつ)の国(くに)茨木(いばらき)の里の百姓家に、一人の男の子が生まれた。
ところがこの子、父も母も普通の体(からだ)なのに、三つの子供と同じ位大きくて、毛は肩までのび、歯まで生えそろっていたから、親はもちろん誰もがびっくらしよった。
母はお産の無理がたたって間(ま)もなく息絶えてしもうた。
子供はぐんぐん大きゅうなって、十日も経たんうちに、もう歩き出しよった。と思ったら、駆(か)けだし、目をギラギラさせて棒を持って振り回しよるのや。
力があっても加減(かげん)を知らん。隣近所(となりきんじょ)の子供達は腕(うで)を折るは、足を折るは。
父は怪我(けが)した子の家をあやまり歩くたんびに、
「ありゃぁ化け者(もん)じゃ」「鬼の子じゃぁ」
言われて、つくづく考えた。
「えらいこっちゃ。これじゃあと二、三年もしたらどんなことになるか。こんな逞(たくま)しいなら山の奥へ置いて来ても一人で生きて行けるかも知れん」
そう思うて、あるとき、子供の手を引いて山へ連れて行った。
その山は、摂津の北から、奥は丹波(たんば)に続いている老(おい)ノ坂(さか)山脈(さんみゃく)の真ん中あたりで、栗の木がたくさんあった。
「ほうら、あっち見てみい、大けぇ栗が山いっぱい生(な)っとるやろ。うまい丹波栗や。好きなだけとってええ」
子供が夢中でとっているうちに、父はそっと逃げ出し、帰ってしまいよった。
遠い山奥にひとり残されてしもうた子供は、さすがに泣いたりわめいたりしとったが、どもならん。帰る道もわからん。腹も減ってくる。栗や木の実、草の根を食って、夜は古木(ふるぎ)の洞(うろ)に入って寝とったが、そのうち、石を投げて兎(うさぎ)や雉(きじ)をとって食うて、生きることを覚えた。
そんなにして生きながら、子供はたったひとりでやまの尾根(おね)を、東へ東へと伝(つた)わって行きよった。東の方には茨木の里がある。
そんなある日、池に映(うつ)る自分の姿を見てギクッとしょった。鬼そっくりなんや。
「ええっ、わしは鬼になってしもうたんか。そんな子が帰ったら、お父(と)ったんどんなに困りよるやろ」
もう帰らないことにきめて、また、けものを獲(と)って過(すご)しているうちに、いつしか三〇年が過ぎた。
一方、村では、今はすっかり年をとった父は病気になっとった。寝たっきりで何時(いつ)死ぬかわからん身になって思うのは、丹波の山へ捨てた子供のことばかり。
そんなある晩、戸をドンドン、ドンドンと叩(たた)いて、ガラリと開けて入って来たものがいる。
鬼のような大男やった。伏(ふ)せっとった父は目をまん丸うして見とったが、やがて、その目から大粒の涙がポロポロ落ちよった。
大男は、父の額(ひたい)の濡(ぬ)れ手拭(てぬぐ)いを取り替える、湯を沸かして身体をふいてやる、あれこれ看病(かんびょう)しよった。父は安心して死んでいった。
大男は、あとのことを近所の人達に頼(たの)み、立ち去ろうとした。すると近所の人達が、
「んじゃ、お前があのときの子やったんか、今はどこに住んどる」
と聞きよると、こう言いよった。
「わいは、このごろ京の都の東寺(とうじ)の羅生門(らしょうもん)に住んどります。誰もが羅生門の鬼と言うて怖(こわ)がっとるのは、わいのこったす。あとをよろしゅう頼(たの)んまっす」
そう言い、大頭をペコペコ下げて、闇(やみ)の中へ姿を消してしまったと。
あちしは色んな意味で茨木くん推しなので、彼の生い立ちにちょっと同情しちゃいました。( 20代 / 女性 )
人間の両親のもとに生まれながらも、鬼として忌み嫌われてほうっておかれた茨木くんがなんとも可哀そうだとは思うけど、最後の最後まで親思いだったところもジーンってきた気がする。あちしも色んな意味で茨木くん推しだからちょっとはその常識離れした生い立ちにも同情しちゃうかもなー。鬼にだって、慈しみはあるんだ!( 20代 / 女性 )
昔、あるところに、貧乏な爺さと婆さがおったと。年の暮れになれば、年とり米も年とり魚もかわねばならんので、爺さは毎年山へ行っては門松(かどまつ)を取って来て、それを町へ持って行って、売り歩いておったと。
「茨木童子」のみんなの声
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