おもろい( 10代 )
― 大分県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、京の都に一休(いっきゅう)さんと親しまれた立派な和尚(おしょう)さんがおられた。
その一休和尚さんが、和尚さんになる前の、まだずっとこんまいとき、あるお寺のお小僧(こぞう)さんを勤(つと)めちょった。
あるとき、一休お小僧さんがお寺の境内(けいだい)を掃き掃除(はきそうじ)をしよったら、檀家(だんか)の爺さんと婆さんが詣(もう)でに来よったと。爺さんが、
「お小僧さん、和尚さんなお家(うち)じゃろうか」
ち言うち聞きよるから、一休さん、
「和尚さんは法事(ほうじ)に行って、今留守(るす)じゃ」
ち答えると、爺さんと婆さんは、
「そりゃ、間の悪いこつじゃ。どげしょうか、婆さん」
「そうですのう」
ち言うち、すっかりしょげちょる様子じゃ。
ほうっておけない一休さん、
「何かご用事でしょうか」
ち聞きよると、
「ほかじゃねえ。わしら二人に子供がねえき、四十雀(しじゅうから)を飼いよったら死んでしもうたき、引導(いんどう)を渡してお経をあげちもらいてぇ思うち二人揃うち来よりました」
ち言うた。
「お経なら私があげてあげましょう」
ち言うたら、
「ほう、お小僧さんお経をよみなさるか、そんなら婆さん、そうしちもらいやしょうか」
「はえ、四十雀じゃもん、お小僧さんのお経が似合うちょる。爺さん、そうしてもらいましょう」
ち言うた。
一休さんが、仏壇(ぶつだん)の前に籠(かご)に入っちょる小鳥を置いち、前に香華(こうげ ※)を供えち、お供養(くよう)しちゃるのじゃ。
したが一休さん、お経ちいうたって、まんだ、なむなむなむしか識(し)らん。どげしちゃろ思うちょったら、いい思案(しあん)が浮かんだ。で、
「なむなむなむ、人生わずか五十年、お前は小鳥であれども四十雀とはよく生きた。喝(かつ)。なむなむなむ」
ち言うて、引導を渡したと。
お爺さんとお婆さんは有難がったと。お布施(ふせ)を包んじ帰っちいったと。
※香華…仏前にそなえる香と花
しばらくしち、和尚さんが法事から帰っち来て、
「留守に変ったことはないか」
ち聞いたら、一休さん、
「別にこれといって変ったことはないけど、四十雀の引導を渡しました」
ち言うち、すましちょるんと。心配になった和尚さんが、
「どういう文句(もんく)で渡したか」
ち聞きよると、
「人生わずか五十年、お前は小鳥であれども四十雀とはよう生きた」
ち、うたうように言うた。
思わず笑い出した和尚さん、
「俺がおっちょっても案じつかん文句だ」
ち言うち、ほめてくれたと。
こんなこんまい頃から智恵(ちえ)があるお小僧さんじゃったから、偉(えら)くても親しまれる大和尚さんになられたんじゃの。
もしもし米ん団子(だんご)、早う食わな冷ゆるど。
おもろい( 10代 )
「一休さんの引導」のみんなの声
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