民話の部屋 民話の部屋
  1. 民話の部屋
  2. 伝説にまつわる昔話
  3. 三日月の滝

※再生ボタンを押してから開始まで時間がかかる場合があります。

みかづきのたき
『三日月の滝』

― 大分県玖珠郡 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭

 昔、昔、今からおよそ千年もの昔のこと。
 京の都に、清原朝臣正高(きよはらのあそんまさたか)という横笛(よこぶえ)の名人がおった。
 正高は、笛の音色(ねいろ)を、清く澄ませるのも、甘く響かせるのも、野太(のぶと)く吠(ほ)えさせるのも、意のままにあやつれたと。調(しら)べも、あるときは、奥山(おくやま)の木の葉(このは)、草の上を渡る微風(そよかぜ)のようにここちよく、あるときは、桜吹雪(さくらふぶき)とたわむれる風のように妖(あや)しく、またあるときは、大竹(おおだけ)をしならせ木々を唸(うな)らせる嵐のように荒々(あらあら)しく終わったりして、その音色と調べは、聴く者の心を、やさしくしたり、くるおしくしたり、せつないまでに懐かしくしたそうな。 

 
 正高は、ただ己れの心のままに吹いているだけだったが、夜ともなれば正高の屋敷のあたりに聴く人が集まって来て、「横笛(ふえ)の正高」という呼び名は日毎(ひごと)に高まった。
 宮中(きゅうちゅう)にも知れたと。
 正高は、帝(みかど)に呼ばれて、宮中の宴(うたげ)の席で笛を吹くようになった。
 
 ある日のこと、宮中勤めをするようになった正高が笛ならしをしていると、どこからともなく、その笛に合わせるように美しい琴(こと)の音(ね)が流れてきた。小松女院(こまつにょいん)という姫の奏(かな)でる琴だったと。
 その日から、宮中では、笛と琴の音(おと)あわせが毎日のように聞かれるようになった。
 いつしか二人は互に慕(した)い合う仲になったと。
 ところが、これに気づかれた帝は、大層お怒(いか)りになられた。笛吹きの正高と、帝と血のつながりのある姫とでは、身分が違い過ぎるというのであった。


 正高は豊後(ぶんご)の国、姫は因幡(いなば)の国へと、離ればなれに流されてしまったそうな。
 幾年月(いくとしつき)かが過ぎた。
 どうしても正高のことが忘れられない姫は、ある夜、ひそかに豊後の国へと旅立った。十一人の侍女(じじょ)とともに、険(けわ)しい山を越え、海を渡るその旅は、命をかけての旅であったと。
 
 豊後の国、玖珠(くす)という所にたどり着いたのは、因幡を出てから百日余りもたった頃だった。みなみな身も心も疲れ果てて三日月の滝のほとりで休んでいた。するとそこへ、一人の年老いた木こりが通りかかった。侍女の一人が、
 「あのう、もし…」
と、声をかけた。


 「このあたりに、清原正高様というお方(かた)が住んでいると聞いて参ったのですが…」
 「ああ、横笛(ふえ)の正高様かね。正高様なら、五、六年前からこん里に住んでおいでじゃが、今じゃ、里のあるじ、兼久様(かねひささま)の娘婿(むすめむこ)になっちょいなさるぞ」
 これを聞いた姫をはじめ侍女たちは、言葉もなくたたずんだ。
 命がけでやって来て、今、生きる望みが絶たれた姫は、よろよろと三日月の滝のふちに近寄ると、手を合わせて身を躍らせた。あとを追って、十一人の侍女たちも次々と滝壷へ身を投げた。誰も一声(ひとこえ)も発(はっ)しなかった。
 年老いた木こりは、あまりの出来事に、棒立ちのまま、息を呑んで見つめていただけだった。
 
 正高は、この木こりから知らされた。
 異変を知らせるジャンを鳴らさせ、村人達といきせききって三日月の滝へ行ったが、姫も侍女も、誰一人救かった者はいなかったと。


 正高は姫とその侍女たちの霊を慰めるために山香(やまが)に寺を建てた。そして横笛(ふえ)を吹いた。
 正高の耳には姫の琴の音(ね)が聴こえていた。その琴の音に合わせるように、澄んだ音で、甘く響く音で、野太く吠える音で吹いた。ここちよい調べから妖しい調べへ、突然変調して荒々しく吹いた。 村人たちは、その音色と調べに、正高と小松姫との、やさしく、くるおしく、せつない物語りを、まるで絵巻物(えまきもの)を見ているかのように感じて、涙を流した。 
 
 正高の建てたその寺は、正高寺(しょうこうじ)と呼ばれ、今も残っている。
 三日月の滝のほとりには、嵐山神社(あらしやまじんじゃ)が建てられて、正高の横笛が大切に保存されているそうな。 

「三日月の滝」のみんなの声

〜あなたの感想をお寄せください〜

驚き

だいぶストーリーが抜けてますね、もう少し詳しく書いた方がいいと思いますよ。 身籠った事も抜けてますし、耶馬溪雲八幡神社、小国の鏡ケ池、下城の大銀杏、浮羽の弓立神社も抜けてます。 1100年続く御霊を慰める祭り、滝の市…… も抜けてます。 何より正高公の父親が小倉百人一首の歌人清原元輔であったこと、妹が清少納言であったこともです。 残念( 50代 / 男性 )

悲しい

昔話かもしれないけれど、切ない気分です。( 50代 / 女性 )

悲しい

最近三日月の滝にご縁が、あって、本当に、あった話であること知りました。とても、悲しい話だと思いました。天国で、会えてると、良いなぁと、心の底から、思いました。南大師遍照金剛( 50代 / 女性 )

こんなおはなしも聴いてみませんか?

狐の唐松さん(きつねのからまつさん)

昔、あったずぉん。 あるどごに、弥八(やはち)て云(い)う狩人(またぎ)あったけずぉん。 あるどき…

この昔話を聴く

正月神様(しょうがつかみさま)

むかし、あるところに爺さと婆さがおって正月神様がおかえりになる日に雨がドシャドシャ降ったと。爺さと婆さがお茶をのみながら、「この雨はやみそうにもない…

この昔話を聴く

古屋の漏り(ふるやのもり)

むかし、山奥の家で、爺さまと婆さまが、一匹の馬を飼っておった。ある雨がざんざ降りの夜に、虎がやってきて、馬をとって食おうと馬小屋にしのびこんだ。家の…

この昔話を聴く

現在886話掲載中!