― 長崎県 ―
語り 平辻 朝子
再話 六渡 邦昭
むかし、肥前(ひぜん)の国(くに)大村(おおむら)、今の長崎県(ながさきけん)大村市(おおむらし)日泊(ひどまり)というところに、勘作(かんさく)さんという、頓智(とんち)のきく侍(さむらい)がおった。
日泊は、隣(となり)の諫早藩(いさはやはん)との藩境い(はんざかい)になっておったので、田舎(いなか)ながらも二十戸ばかりの侍を配置(お)いて警備(けいび)をしておった。
勘作さんもこの中のひとりで、足軽(あしがる)という身分の低い侍だったが、のんきな勘作さんはお城からの帰り道、鈴田(すずた)の権現坂(ごんげんざか)あたりまで来ると袴(はかま)をぬいで朱塗り(しゅぬり)の刀にくくりつけ、それを肩に担(かつ)いで、てっくり、てっくり、黒田の辻(くろだのつじ)を越えて帰ってきたそうな。
他藩(たはん)の者たちと出逢うたら斬り合いになる辺りだというのに。
ある冬のこと。
そのころ足軽のような身分の低い侍は、どんだけ寒くても足袋(たび)をはいてはいけない規定(きまり)があったから、勘作さん、いつも素足(すあし)にワラジで足が冷たくてかなわん。
「何とかせにゃあ、しもやけがかゆうてたまらんわい」
といいながらいろいろ、思案(しあん)しているふうだったが、そのうちに、
「よし、この手でいこう」
と、にやりとした。
勘作さん、白い足袋をはいてお城へ出掛けたと。
そしたら、たちまちご家老さまに見つかって呼び止められた。
「足軽の分際(ぶんざい)で足袋をはくとは何事(なにごと)ぞ」
と、きつく、きつく叱(しか)られた。
勘作さんはあわてて白足袋をぬぎながら、
「はぁ、どうもすんまっせん。何とぞ、こんたびばかりはお許しのほどを」
と、手をついてあやまった。
日頃からあまり憎(にく)めない勘作さんのこととて、ご家老さまはいうだけいうと気が済み、
「ふむ、それでは、こんたびは許す」
と、いばってそういうた。
ところが次の日のことだ。ご家老さまが勘作さんの足元を見ると、昨日意見したばかりなのに、また足袋をはいている。
「こらっ、勘作。また、足袋をはいとるではないか」
すると勘作さん、けろりとして、
「ははぁ…。でもご家老さま、勘作めの足袋をようっく見て下っさい。足袋の色は何色に見えましょうや」
「うむ!? こ、紺色(こんいろ)じゃ」
「はっ。ご明察(めいさつ)のとおりでございます。ご家老さまは、昨日(きのう)、『こんたびは許す』とそう言われましたけん、勘作、あの白い足袋は思い切りよく捨てました。
今日からは紺足袋(こんたび)に致(いた)してござります」
こういうたと。
これぎりぞ。
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昔、あったと。鶉(うずら)と狸(たぬき)があったと。 あるとき、鶉と狸が道で出合ったと。鶉が、 「狸どん、狸どん。今日はお前に殿(との)さまの行列を見せてやろうと思うが、どうだ、井ぐいに化けないか」 と、狸にもちかけた。
「勘作さんの紺足袋」のみんなの声
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