雪女怖すぎる( 10歳未満 / 男性 )
― 長野県 ―
語り 平辻 朝子
再話 六渡 邦昭
むかし、白馬岳(しろうまだけ)の信濃側(しなのがわ)のふもとの村、今の長野県(ながのけん)北安曇郡(きたあずみぐん)白馬村(はくばむら)に茂作(もさく)と箕吉(みのきち)という親子の猟師(りょうし)が暮(く)らしてあったと。
ある冬のこと、茂作と箕吉は連れだって猟に出掛(でか)けた。
獲物(えもの)を追(お)って山の奥(おく)へ奥へと分け入るうちに空模様(そらもよう)が変わったと。先(ま)ず寒(さむ)さがきつくなり、あたりが急(きゅう)に暗(くら)くなって、冷たい風が山を揺(ゆ)らしてゴーと吹いてきた。
挿絵:近藤敏之
「父っつぁまぁ」
「こりゃあ、ひどい雪になるぞ」
親子は足を速(はや)めて避難小屋(ひなんごや)へ急いだ。が、たちまち、目も開けられんほどの猛吹雪(もうふぶき)になった。そのなかを、這(は)うようにして小屋へ辿(たど)り着いたと。
「今夜は、ここで泊(とま)りだいな」
茂作と箕吉は、囲炉裏(いろり)に火を焚(た)きつけ、身体を暖(あたた)めるとほっとしてゴロリと横になった。年をとった茂作はたちまちイビキをかいた。若(わか)い箕吉は吹雪の音が耳について寝付(ねつ)かれない。ウトウトしては目がさめる。そうやって真夜中頃(まよなかごろ)、ひときわ強く吹雪いて、また目がさめた。間なしに、戸が蹴(け)とばされたみたいにバンと開き、猛烈(もうれつ)な吹雪が吹き込んだ。戸はすぐに閉(し)まったが、小屋の中で舞(ま)っている雪と同じ色の衣装(いしょう)を身にまとったひとりの美しい娘(むすめ)が立っていた。
挿絵:近藤敏之
箕吉が、
「だれだい」
と、訊(き)こうとしたが、声が出ん。身体も動かん。
娘は茂作の上にかがんで、その顔をのぞいていたが、白い息をフーッと吹きかけたと。
「何をするだ」
箕吉がまた叫(さけ)ぼうとした。が、やっぱり声が出ん。身体も動かん。それでももがいた。すると、娘が振(ふ)り返った。
さっき吹き込んだ吹雪で、囲炉裏の火はほとんと消えていたが、ほのかに見える娘の顔は、透(す)きとおるような白さで、唇(くちびる)だけが赤く見えた。後ろに束(たば)ねた長い黒髪(くろかみ)はカラスの濡(ぬ)れ羽色(ばいろ)のようだ。あまりの美しさに箕吉はハッとして眼(め)をそらせなくなった。
娘が今度は箕吉の上にかがむと、じいっとその顔をみつめた。
「お前はいい若者だ。わたしはお前を好(す)いたから、今は命(いのち)をとらない。けれど今起(お)こったこと、今見たことを他の人に言ったら、そのときはお前の命は無いものと思いなさい。いいね。決(け)して言ってはいけません……」
言い終(お)わらんうちに、娘の姿は消えた。あとには粉雪(こなゆき)だけが、くるくる舞っていた。外で吹き荒(あ)れた吹雪きもケソッと止んでいたと。
やっと身体が動かせるようになった箕吉は跳(は)ね起きて、
「父っつぁま、父っつぁまぁ」
と、茂作を揺さぶった。が、茂作はカチカチに凍(こお)って物言わん。息絶(いきた)えておったと。
朝を待って、箕吉は雪をこいで山を下り、村人に父が死んだことを報(しら)せた。村人達に助けられてようやく野辺送(のべおく)りを済(す)ませた箕吉は、独(ひと)りぽっちになった。猟をするのも、食べるのも独り、張(は)り合いの無い、淋(さみ)しい暮らしが続いとったと。
そうして次の年の吹雪の夜のことだった。
トントン トントン
表の戸を誰(だれ)かが叩いた。
<こんな吹雪の夜に訪(たず)ねてくるなんて、いったい誰だべ>
いぶかりながら戸を引き開けて、箕吉は目を見張った。そこにはハッと息が止まるほどの、何とも美しい娘が立っておった。して、
「旅の者でございますが、道に迷(まよ)って困(こま)っております。外はこの通りの吹雪、どうか一晩(ひとばん)泊めて下さいまし」
と言うた。箕吉が、
「そら、まぁず困ったな。俺(おら)独り住まいだもんで、何のご馳走(ちそう)も出来ねぇ。この先の家さ行ったらどうだぃね」
と、気の毒(どく)そうに断(ことわ)ると、ひときわ強い吹雪が吹き上げた。
箕吉が、
「こりゃたまらん。ひとまず内(なか)へ」
と言うて、土間(どま)に招(しょう)じ入れてよくよく見ると、娘はひどく疲(つか)れている様子だ。見るに見かねて囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ)に架(か)けた鍋(なべ)に残っとった粥(かゆ)をご馳走したと。
火にあたりながら話し合っているうちに、娘も独りぽっちであることがわかった。
吹雪は次の日も、その次の日も、幾日(いくにち)も幾日も続いた。その間に娘は、家の中を掃除(そうじ)し、箕吉の着物の破(やぶ)れを繕(つくろ)い、三度の食事をこしらえ、マメマメしく働(はたら)いたと。 こんな娘を箕吉は手離(たばな)すのが惜(お)しくなった。
ある日、箕吉は娘に、
「お前さえ良ければ、俺と一緒に暮らさないか」
と言うた。娘がうれしそうに、
「私で良ければ、はい、お願いします」
と言うて、二人は夫婦(めおと)になったと。
いい嫁(よめ)さんぶりだったそうな。
子供(こども)も生まれて、しあわせな日々が続いたと。嫁さんの名前は、ゆきと言ったが、その名のとおり、抜(ぬ)けるような色の白い女子(おなご)で、子供を五人も産(う)んだというのにやつれもせん。十年経(た)っても、来たときのそのまんまの美しさであったと。
挿絵:近藤敏之
ある夜のことだった。
嫁さんは囲炉裏端(いろりばた)で子供の着物を縫(ぬ)っておった。外では吹雪がゴウゴウ、ヒュウヒュウうなっている。
箕吉は炉端(ろばた)に寝転(ねころ)んで、その音を聞きながら嫁さんの顔を見るともなく見ておった。
そしたら、フッと十年前、父親の茂作を亡(な)くしたあの日のことが思い浮(う)かんだ。
「ああ、思い出すでよ。あの吹雪の晩のことを……」
箕吉は、思わずつぶやいたと。
嫁さんは顔をあげ、じいっと箕吉を見つめた。
「父っつぁまが死んだ晩のことだ。あの晩も……」
箕吉は、あの晩のことを初(はじ)めて嫁さんに話して聞かせた。
「うん、そういえば……だども不思議(ふしぎ)だなあ。お前はあのときの、あの女とそっくりだ。雪のように白い顔の、黒い髪を後ろで束ねて、唇だけが赤かった。―あれは、もしかしたら、おら、雪女(ゆきおんな)ではねえかと」
箕吉がそこまで言ったときだった。
嫁さんが縫い物を置(お)いて、立ち上がった。
「とうとうお前さんは言いましたね。決して言ってはいけないという約束(やくそく)を、とうとう破りましたね。話したら命を取ると言ったのに。言って欲(ほ)しくなかった。今はもう子供達もいるから命は取らないけれど、これでお別(わか)れです。あのとき、小屋に行ったのは私です」
嫁さんの声は震(ふる)え、黒い眼はうるんでおった。
箕吉は、ただもうあぜんとして嫁さんを見ておった。
「お前さんの言うとおり、私は雪女です」
嫁さんの声は段々(だんだん)小さくなり、姿(すがた)も薄(うす)くなっていって、ついには消えてしまった。
あとには、ただ粉雪だけが舞ってあったそうな。
それっきり。
挿絵:近藤敏之
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「雪女」のみんなの声
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