― 長野県 ―
語り 井上 瑤
原話提供 成田 知子
再話 六渡 邦昭
むかし、むかし、さてむかし。
ある村に、小三郎(こさぶろう)という木こりの若者がいたそうな。
小三郎は木こりの親方の家におる、ちんまという飯炊(めした)き上手の女子を好いておった。気立てのいい女子でなぁ、ちんまも小三郎の事を好いておった。
ある日、小三郎はちんまの作ってくれた弁当腰に、仲間の木こりと連れ立って、山へ出かけた。
昼めしどきになって、
小三郎が、沢まで水を汲(く)みに下りて行くと、自分の背(せ)ほどもある岩魚(いわな)が、ゆたぁりと泳いでおった。
「ほお、たいそう大きな、岩魚じゃあ、あいつと分けて食うてやろう」
小三郎は、岩魚をあっちこっち追回してやっとのことで河原へ引き上げて焼いたそうな。
ひとくち食べ、
「これは、うまいのう」
もうひとくち食べ、
「少しぐらい残してやりたいが…うまくてうまくて、どうにもならん」
とうとう、小三郎は、一匹全部ひとりで、食っちまったんじゃ。
すると、どうしたわけか、無性(むしょう)に水が飲みたくなった。
川のふちに手をついて、ガブガブ飲む、
川の水、全部飲むようないきおいじゃった。小三郎のからだは、みるみるふくらんだが、それでも川底をさらうように飲んでいる。
「小三郎やぁい」
小三郎の帰りがあんまり遅いので仲間の木こりが様子を見に来ると、川のふちに大蛇が立っておった。
「わしじゃ、小三郎じゃ」
「小、小、小三郎っ。どうしたんじゃぁ」
「ゆるしてくれ。お前に残さずに岩魚を食ったために、こんな姿になってしまったんじゃ」
と、いうと、大蛇になった小三郎は、ずるずる池の中に消えたそうな。
わけを聞いたちんまは、毎日毎日、
山に来て小三郎の池をながめては、涙を流した。
その涙は、水たまりになり、水たまりは池になって、とうとうちんまも小三郎恋しさのあまり、蛇に姿を変えて池の主(ぬし)になってしまったんじゃ。
岐阜(ぎふ)の日和田(ひわだ)というところに、小三郎池とちんまヶ池が寄り添うようにしてあったが、いつの間にか、ちんまヶ池はすっかり枯(か)れてしまったのう。
それは、ちんまが小三郎のところへ嫁に行ったからだ、ということじゃ。
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むかし、ある村にすぐれた娘(むすめ)をもった長者があった。 娘は器量もよいが、機織(はたおり)の手が速く、朝六(む)つから暮(くれ)の六つまでに一疋(いっぴき)の布(ぬの)を織(お)り上げてしまうほどだったと。
昔、あるところに夫婦者がおいやって、二人の間に男の子が出きんしゃった。その子は七ツ八ツになって使い事をよくするようになったが、親の言うことにそむいたことの無い子で、それが世間にも評判になった。
「小三郎池のはなし」のみんなの声
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