― 高知県 ―
語り 井上 瑤
話者 石野 春夫
再話 市原 麟一郎
土佐(とさ)では河童(かっぱ)のことをエンコといいます。
エンコは、川が大きな淵(ふち)になっているところに棲(す)んでいて、夜になると岸(きし)へ上がって歩き回ります。
エンコの歩いたあとは、何ともいえない嫌(いや)な生臭(なまぐさ)い匂(にお)いが残(のこ)っていますので、すぐ判(わか)ります。
春先には、田の畦(くろ)のぬりたてのに足跡(あしあと)が残っていることもあります。
この足跡は人間の子供(こども)の足跡とよく似(に)ていますが、人間の足跡はきびすと足ゆびのところの幅(はば)が三角形であるのに、エンコの足跡は四角ばった同じような幅の足跡ですぐに見分けがつきます。
生きた姿(すがた)を見た者はありませんが、鳴(な)き声は「ギギギギー」とも「ギャギャギャギャー」とも聞こえる気持ちの悪い声です。
影野(かげの)と床鍋(とこなべ)の村境(むらさかい)になる所に小さな板橋(いたばし)がかかっておりました。雨が降って水が出ると、この板橋は引きあげられるということでした。
これも明治(めいじ)二十年代のある秋の日、そろそろ稲刈(いねか)りも始まろうとする頃(ころ)の夕暮(ゆうぐ)れです。
床鍋一の力持ちといわれる男が、仕事(しごと)の帰りにこの板橋にさしかかりました。
男が橋の上から川の中を見ますと、今まで見たこともない動物(どうぶつ)が、川上(かわかみ)のほうへ向(む)かって泳(およ)いでいきますので、
「これはエンコにちがいない」
と思い、河原(かわら)にある人間の頭ほどもある石を拾(ひろ)って、力いっぱい投(な)げつけました。
石はたしかに命中(めいちゅう)したようですが、暗(くら)くなってきていたので、男はそのまま家へ帰ってしまいました。
あくる日、橋の下流(かりゅう)の方でエンコが死んで川岸に打(う)ちあげられたといので大騒(おおさわ)ぎになりました。
そのままにしておくと祟(たた)りがありかもしれないというので、弓取(ゆみと)りというて、弓に霊(れい)を呼(よ)んで語(かた)らす行者(ぎょうじゃ)に占(うらな)ってもらいました。
弓についたエンコの霊は、
「おらは、この川に住むエンコじゃ。昔からあの橋から上へ行ってはならんといわれちょったが、行ってみとうなって行きよったら、床鍋一の力持ちの男に石を投げられて、死ぬ破目(はめ)になった。これも神さまがお決めになった禁(きん)を破(やぶ)った罰(ばつ)よ」
と、あきらめたことをいって祟りをしませんでした。
このエンコの死体を、たくさんの人が見物(けんぶつ)に行きました。行ってみて来た人の話によると、頭の上に梅干(うめぼ)しほどのくぼみがあり、手と足の指の間に、水かきのついたこの動物は、なんともいえない嫌な匂いを放(はな)っていましたが、頭の皿(さら)のまわりには絵に画(か)かれている河童のような毛(け)はなく、甲羅(こうら)もなかったといいます。
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昔、昔。雨コ降ってら日、一人の婆、山菜のミズ背負って町さ売りに歩いてたど。「居だか。ミズ えかったべしかあ。採りたてでンめぇどぉ」 って、家々まわったきゃ、「今日、まんず間に合ってらしじゃ」どて、断られたど。
「エンコ(河童)」のみんなの声
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