― 高知県 ―
語り 井上 瑤
再話 市原 麟一郎
整理・加筆 六渡 邦昭
むかし、農家(のうか)の人は、一粒(ひとつぶ)の米も無駄(むだ)にせられんいうて、米俵(こめだわら)の中の米が残り少のうなると、俵をさかさにして、俵のまわりや底のところを棒(ぼう)で叩(たた)いて、中の米を一粒残さず出したそうな。
この、米俵をさかさまにして棒で叩くときに、土佐(とさ)の百姓(ひゃくしょう)は、
「しおのこ、しおのこ、しおのこ、しおのこ」
と、まじないを唱(とな)えるのが習慣(しゅうかん)じゃったと。
この由来(ゆらい)を語ろうかの。
むかし、田原藤太秀郷(たわらとうたひでさと)がビワ湖の竜神(りゅうじん)さまに頼まれて、三上山(みかみやま)の大ムカデを退治(たいじ)したときに、お礼(れい)として貰(もろ)うた三つの宝があった。
〇音色の美しい吊(つ)り鐘(がね)と、
〇必要なだけ切り取って使えば、あくる日は元の長さに戻っている反物(たんもの)と、
〇小さな米俵だけど、少しずつ米を取り出して使っていれば、あくる日には元の量に戻っていて、いつまでも減(へ)らない米俵の三つじゃが、この米俵が有名になって、俵の藤太と呼ばれるようになったそうな。
ムカデ退治をして三つの宝物(たからもの)をもらった話はあまりにも有名だからさておいて、藤太はもらった三つの宝物のうち、吊り鐘は三井寺(みいでら)に寄贈(きぞう)し、反物と米俵を手許(てもと)へ残しておいたと。おかげで、着物と米には不自由(ふじゆう)せんようになった。
反物も米俵も、毎日使っているのに、ちっとも減らんので、藤太の嫁さんは不思議でしょうがない。どんな仕掛(しか)けになっているのか、のぞいてみたくなった。
ある日、夫(おっと)にないしょで、こっそり反物をのばしていったと。が、最後までのばしてみたが何の仕掛けもなかった。
がっかりして元のとおりに巻(ま)き戻(もど)しておいて、今度は米俵にとりかかった。小さな米俵をさかさにすると、全部の米がいっぺんにドサーと出た。俵の中には何の仕掛けもなかったと。
嫁さんは、米をまた元どおりに米俵の中へ入れて、知らん顔しちょったと。
これ以後(いご)、反物も米俵も元に戻る不思議な力が無(の)うなって、すぐに使い切ってしもうたと。
昔にこんなことがあってから、一度にどどっと全部の米が出てしまわないように、少しずつ、たくさん出てくるように願いを込めて、
「しおのこ、しおのこ」
と、まじないを唱えながら、さかさにした米俵を棒で叩くようになったそうな。
「しおのこ」
という唱え言葉の意味ははっきりせんのじゃが、もしかしたら、小さいとか少なくとかの意味の「少少(しょうしょう)」がなまった言葉かもしらんと手前勝手(てまえかって)に思うとるんじゃが、どうじゃろな。
むかしまっこう、さるまっこう
さるのつべは ぎんがりこ。
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むかしむかし、 あるところに爺(じい)さんと婆(ばあ)さんがいだど。 爺さんは七十五、婆さんは七十で、どっちも、目もはっきりしていたし、歯も、漬物ぱりぱりと食っていで、まだまだ達者だったど。
「「しおのこ、しおのこ」の由来」のみんなの声
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