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おおきなて
『大きな手』

― 和歌山県 ―
語り 井上 瑤
再話 和田 寛
整理・加筆 六渡 邦昭

 むかし、紀州(きしゅう)、今の和歌山県の有田(ありた)と日高(ひだか)の郡境(ぐんざかい)にある鹿ケ瀬峠(ししがせとうげ)というところへ、惣七(そうしち)という猟師(りょうし)が猪(いのしし)を撃(う)ちに行ったそうな。
 
 いつものように犬を使って猪を追い出そうとしたが、その日にかぎって一頭も出てこん。
 「おかしいな、こんなことは今まで一度もなかったんだが」
 惣七は首を傾(かたむ)けながら犬を呼(よ)び戻(もど)したと。が、いくら呼んでも犬は戻って来ん。


 「今日はいったいどうしたってんだ。犬までおかしくなりやがって」
 惣七は大声で犬の名を呼びながら山の中を歩きまわったと。 
  すると、にわかに空が曇(くも)って、みぞれまじりの冷たい雨が降(ふ)りはじめた。
 「こりゃいかん。早くどこかへ雨宿りしなきゃぁ風邪(かぜ)をひいてしまう」
 惣七は、以前行ったことのある炭焼き小屋をめざして、いっさんに走ったと。
 ところが、いくら走っても小屋は見つからん。いつの間にか道に迷(まよ)ってしまったと。
 雨は降るし、道はわからんし、
 「えーい、そんなら下におりるまでよ」
と山をどんどん駆(か)け下りたと。

 そしたら、途ちゅうにくずれかけた小屋があった。
 「ありがたい、ここで一休みするか」
と、小屋に駆け込(こ)んだと。すると、誰(だれ)もいないと思った小屋の中に、一人の婆(ばあ)さんがいて火をたいておった。


 「おお、雨にたたかれなさったな。びしょ濡(ぬ)れじゃないか。そのままでは風邪をひく、早くこちらへ来て濡れた着物を乾(かわ)かしなされ」
 婆さんは、こういいながら薪(まき)を次々と火の中へ投げ込んだ。
 惣七は、着物を火にあぶりながらひょいと婆さんの手を見た。婆さんが薪を一本投げ込むと、しわだらけの手はにょきっと大きくなった。
 「気のせいかな」
目をしばたきながら、なおもよおっく見ていると、婆さんがまた一本投げ込むと、手もまたにょきっと大きくなった。
 惣七はびっくりしたのなんの。
 「うへぇーっ」
と、さけび声をあげて、小屋を飛び出し、山を駆け下りたと。


 走っては転び、走っては転びしているうちに、いつの間にやら雨があがり、日が差していた。そうこうするうちにワラ吹き屋根の古い家の前にたどりついたと。
 息もきれぎれにその家へ入ると、若い娘(むすめ)がひとりいて、カマドに薪をくべていた。
 鍋(なべ)から味噌汁(みそしる)のなんともいえんいい匂(にお)いがしている。
 惣七は、ほっとして、山小屋で見た婆さんの大きな手のことを話したと。 
 そしたら若い娘は、
 「そうですか、その婆さんの手はこれくらいでしたか」
といって、自分の手を惣七の目の前へ突(つ)き出した。
 カマドの火に照らし出された若い娘の手は、目の前でどんどん大きくなり、やがて惣七をひと包みしてしまいそうなくらいになったと。

 
 惣七は、その場に気を失って倒(たお)れてしもた。

 どれくらい経(た)ったか、顔になま暖(あたた)かいものを感じて、目を開けてみると、犬が顔をなめていたと。
 気を取り戻して周囲(あたり)をうかがうと、そこには若い娘はもとより、ワラ吹きの家もなく、ただの大きな松の根元に倒れていたのだと。
 峠からずいぶん駆け下りたはずなのに、まだ、峠のごく近くだったと。
 惣七は犬を連れて家へ帰ったと。

 そしてそれ以後、二度と鹿ケ瀬峠へは猟に行かなかったそうな。
 
 おしまい。

「大きな手」のみんなの声

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