今は亡き父から、子供の頃に江差の重次郎の面白い話をいくつか聞いたことがある。とんち話が面白く、今も覚えている。( 60代 / 女性 )
― 北海道江差町 ―
語り 平辻 朝子
再話 佐々木 達司
整理・加筆 六渡 邦昭
北海道(ほっかいどう)の江差(えさし)といったら、春先にはニシン漁で夜も昼もないほど賑(にぎ)わったものだ。
「ニシン群来(くき)」というて、ニシンが卵を産みに沿岸(えんがん)へ群(むれ)をなして押し寄せるさまは、海がぐうんと盛り上がり、水の色も白く変わるほどだったと。
幕末(ばくまつ)から明治(めいじ)の初めにかけて、渡島の国(としまのくに)江差、今の北海道檜山郡(ひやまぐん)江差町(えさしちょう)のニシン場(ば)に繁次郎(しげじろう)という、すっとぼけた男がおった。ホラも吹く。
挿絵:福本隆男
ある日、繁次郎は近所の人達に、
「俺は昔、ニシン場で船頭(せんどう)をやったことがある」
と、ありもしないことを言うて、空自慢(からじまん)した。
その頃のニシン場の船頭ゆうたら、けっこうな立場だ。
みんなが「本当かいな」という顔をしながらも感心しているのを見て、ひとり喜(よろこ)んでいたと。
江差はニシン群来の頃になると、漁場(りょうば)は猫の手も借りたいほどの忙しさになる。まして優秀な船頭ともなると、どの網元(あみもと)も大金(たいきん)を積んで欲しがる。
どこでどう伝わったのか、漁場の親方が繁次郎に船頭になってくれと、雇(やと)いに来た。
これには繁次郎の方がびっくりした。
それもそのはず。繁次郎は、船頭はおろか網を刺(さ)すこともしらない。まさか、ホラ話を聞いて雇いに来るなんて想いもよらなかった。
今さら「あの話は嘘であった」などとは負けず嫌いの繁次郎、口が裂けても言えん。そこで、
「よしきた」
と、引き受けてしまったと。
いよいよ網おろしの日になった。
ニシンがどこをどう来て、どこに網をおろすか、船頭としての勘の冴(さ)えどころだ。が、繁次郎はなぁんも識(し)らん。それなのに、ちっとも頓着(とんちゃく)しない。若い衆(し)を連(つ)れ、船に網を積んで乗り込んだ。ゆうゆうとしたもんだ。
適当なところへ船を漕ぎ出させ、
「さァ、そろそろ網をおろせジャ」
というて網をおろさせた。
…まではよかったが、魚を導(みちび)き入れる長い手網(てあみ)を沖の方へ延(の)ばさせてしまった。
「それだば反対だデバ。手網、岸の方さ延ばした方がよくないカイ」
と、若い衆がいう。繁次郎は、
(へぇ、そんなものか)と思ったが、今更引っ込みがつかん。
「この方が余計、ニシン掛かるんダ。いらぬ口出しスナ」
というて、とうとう他の船頭とは逆に網をおろしてしまったと。
船が港に戻ってから、若い衆が親方に、
「あんな船頭、見だこと無(ね)じゃ。手網、沖の方さ延ばしてしまったジャ」
というたら、親方もびっくりしたと。
「あの船頭雇ったのは間違いだったベカ」
と、頭かかえたと。
いよいよ網おこしの日になった。
いつもは、でんと構えている親方も、今回ばかりは心配になって、船に乗って出掛けたと。
繁次郎は、口を真一文字(まいちもんじ)に閉(と)じて、一言(ひとこと)も物言わん。
はたから見ると、いかにも自信ありげに見えるが、本当はどうだか。
船は網をおろした場所に着いた。繁次郎、
「網、あげぇい」
と、呼ばった。若い衆は、
「ヤーレン ソーラン ソーラン」
と、いっせいに引き揚げ(ひきあげ)にかかった。
するとどうだ。網は今までに無かったほど重くって、ニシンがピチピチ跳ねている。
これには親方も若い衆も、もちろん当の繁次郎も驚(おどろ)いた。
岸伝い(きしづたい)に泳ぐニシンは、手網に添(そ)って沖へ出て、そこで網の中へ入ってしまったらしい。
繁次郎、思わず口元がほころんだ。そして、いせいよく、若い衆に指図(さしず)しはじめたと。
とっちぱれい。
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