― 愛媛県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
あんたさん、知っとられますか。
昔は太陰太陽暦(たいいんたいようれき)っちゅうのを使っておりましてのう、つまり旧暦(きゅうれき)ですかのう。
明治五年十二月三日が、新暦(しんれき)の明治六年一月一日になったのですらい。
それまでの正月が、一ヶ月早よう来るようになったわけですらい。
ところが、この新暦の正月になじまないお人が仰山(ぎょうさん)おりましてのう、しばらくは、旧暦と新暦とどっちにあわせてもよかったのですらい。
それが明治四十三年に旧暦は完全に廃止(はいし)されましてからいうもの、みいんな、この月に正月迎えをするようになったのですらい。
ですから、普通の家では、もう正月の門がとれた頃ですわなあ。ですが、我家(わがや)では、まんだ正月祝いをしとらんのですらい。
その訳を語りましょうかのう。
とんと昔、あったいいますらい。
わたしらがなあ、まだこんまい子供の時に、お父さんとお母さんが、
「早いもんよのう、明日は新正月じゃていうが」
と、こう言うて話よりますのでなあ、
「わたしの家ら、なぜ新正月せんが」
いうたら、
「家でものう、昔はいっぺん新正月したことがあるがじゃがのう。ちゃんとお飾りもお供えもして待ちよったけんど、どがいしたってお正月様来なはらんじゃけん」
って、お父さんが言いますけん。
ほれから、隣(となり)へ行って、
「おいおい、お正月様来なはったか」
いうたら、
「家も来なはらなや」
「さあ、新にするがは初めてじゃけんのう。お正月様、道に迷いなはったのかもしれんけん、そこらまで行ってみるか」
隣のおじさんと二人で出かけよったところが、ちょうど、私の家の前をおりるというと、小さな溝ごがありますが、その、どうも溝ごで、「うんうん」唸(うな)りよるもんがあるよな思て覗(のぞ)いてみたら、お正月様がこけこんどりなはった、いいますらい。
ほいで、
「ありゃ、こりゃ大事(おおごと)じゃ。お正月様、溝ごへこけこんどりなはるが」
「ほりゃ大事じゃ」
「どがいでござんすりゃ、お正月様。お医者さん迎えましょうか」
「がいな怪我(けが)ではござんせんか」
いうたら、お正月様は、
「お医者さんはいらん」
いうて、いいなはる。
「そうでござんすか、そしたら、お薬でも持って参りましょうか」
「薬もいらん」
「ああ、お医者さんも薬もいりませんか。そしたら、もう準備がちゃんと出来とりますけん、早よう来てやんなはいや」
というたところが、お正月様、
「医者もいらん。薬もいらん。わしゃ、やっぱり灸(旧)がええ」
っていいなはった途端(とたん)に、居(お)りなはらんようになったがで。
「こりゃ、もう、山の中では新には出来(でけ)んぞ。やっぱり旧がええいいなはるけん、旧にせにゃいけんわい」
いうて、それからは、我家の正月はずっと旧にしたのじゃいいますらい。
うちの正月は、こんな訳で、みんなの家より一ヶ月遅うに迎えるんですらい。
そうじゃったと。
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「お正月様がやって来ん」のみんなの声
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