正月元旦の朝に若水を汲んで、神様仏様に上げるとその年は良い事があるという若水汲みの由来のようですが、狐との関係はどうなっているのでしょうか。
― 青森県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
整理 六渡 邦昭
むかし、牛方(うしかた)の村に富(とみ)という、いたって心のやさしい若者が住(す)んであったと。
富は、九(ここの)つのとき両親(ふたおや)に先立たれて、それからずっと、村の人達にかわいがられて暮らしていたと。
ある年の大歳(おおどし)の日、隣の爺(じ)様からこづかいを貰(もら)ったと。それで町へ買物に行ったと。
村はずれまで来たら、道端(みちばた)で男童子(おとこわらし)四、五人が輪(わ)になって騒(さわ)いでいた。
何をしているかと思って、近寄って見たら、一匹の狐(きつね)をつかまえて、棒(ぼう)で叩(たた)いていた。
狐はそのたびに、ケーン、ケーンと啼(な)いた。
富はかわいそうになって、
「こら、やめんか、明日はめでたい正月だ。放してやれ」
といって、持っていたこづかい銭(せん)、みんな童子にやったと。
「ぶたれた足、痛いか、かわいそうに。歩けるか」
といって狐を放してやった。
狐は、うしろを振りかえりながら明神沼(みょうじんぬま)の方へ逃(に)げて行ったと。
挿絵:福本隆男
富は銭コが一文(いちもん)も無くなったので家に戻ったと。
大歳の晩(ばん)だというのに正月迎えの品々(しなじな)どころか、この晩(ばん)に食うものもなあんにもない。
「こんなに腹へったときには水呑(の)んで寝るにかぎる」
といって、早々(はやばや)と床(とこ)に入ったと。
正月元旦(しょうがつがんたん)の朝が明けた。
神棚(かみだな)と仏様(ほとけさま)に、なんにもお供(そな)えするものが無い。そこで、井戸の水をくんでおあげし、拝(おが)んだと。
そしたら、腹がグーグー鳴(な)った。あんまりにも腹がへったので米びつを逆(さか)さにしてみたら、米粒(こめつぶ)、五粒あったと。
富は、五粒の米粒にわかめを入れて、お粥(かゆ)さん炊(た)いたと。
もう煮(に)えたかなと蓋(ふた)とって、こりゃおどろいた。どうしたことか、まっ白い飯(めし)、鍋(なべ)に盛(も)りあがっていたと。
富は喜(よろこ)んで、白い飯、腹いっぱい食べたと。残りを大事にしまっておいたと。
次の日、朝早く起きて、また、井戸水くんで、残りの飯に入れて、温(あたた)めたと。
まず神様と仏様におあげしてから食べようと思って、鍋の蓋をとった。そしたら、昨日と同じように、白い飯、鍋いっぱいに盛りあがっていたと。
毎日、毎日、このくり返しで、白い飯、なんぼう食べても、無くならなかったと。
このことが村じゅうの話題(わだい)になり、隣村に広がり、津軽(つがる)の国じゅうに広がり、日本国(にっぽんこく)じゅうに広がっていって、正月元旦の朝、早くに水くめば、その年いっぱい、良いことがあるって、みんな若水くむようになったのだと。
とっちぱれ。
正月元旦の朝に若水を汲んで、神様仏様に上げるとその年は良い事があるという若水汲みの由来のようですが、狐との関係はどうなっているのでしょうか。
優しいです。そんけいしました( 10歳未満 / 女性 )
南部と秋田の国境(くにざかい)に、たった二十軒(けん)ばかりの淋(さび)しい村がある。この村から秋田の方へ超(こ)えて行く峠(とうげ)の上に、狼(おおかみ)の形をした石が六個(こ)並(なら)んでいる。
「若水くみ」のみんなの声
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