お金のことなら、人を大切にすることをしないなんて怖いと思いました。( 20代 / 女性 )
― 青森県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、津軽(つがる)のある村さ、そりゃあ、そりゃあ、ケチで欲(よく)たかりの金貸(か)しがいたど。
ケチもケチも、この金貸しゃあ情(なさ)け容赦(ようしゃ)なく銭(じぇん)コば取りたてるもんで、
「ありゃ、鬼(おに)だ」
「あったら金貸しゃあ、早ぐくたばりゃいい」
って、村人も村人じゃねえ人もみんな言うていたど。
その金貸しゃあ、欲たかりの上にまんず心配性(しんぱいしょう)であったから、ある晩(ばん)げ、カメの中にずっぱり貯(た)め込んだ銭コば見ていて、
「火事(かじ)になったらどうするべ。泥棒(どろぼう)に入られたらどうするべ。はあてどうするべ。どっかにいい隠(かく)し場所、ねえがな」
って、あっちゃこっちゃ探し歩いたど。
「あそこもだめ、ここもだめ」
って歩きまわって、裏(うら)の畑さ来たど、
「んだ、ここがええ。ここだば火事になんね。ここだば泥棒も気がつかね」
って、銭コずっぱり入ったカメ、裏の畑掘(ほ)って埋(う)め込んだと。
埋めるとき、金貸しゃあ、
「こら、銭コや、もし誰か他の者(もん)がお前(め)ば見(め)っけだらモッケになれや、いいか、モッケになるんだどお。俺(おれ)のときは銭コでいろや、いいか、俺のときは銭コでいるんだどお」
って、何度も何度も言うたど。
モッケというのはカエルのことだ。
したっきゃ、ちょうどそのどき、お寺の和尚(おしょう)さま、外用事(そとようじ)で遅(おそ)くなって帰って来たどこで、金貸しん家(ち)のそばまで差しかかっていただ。しだら、小便(しょうべん)したくなって、
「行儀(ぎょうぎ)が悪いけどしょうがねえべ。出るもの所嫌(ところきら)わずだ」
って、着物の前はだけながら道端(みちばた)の木さ寄(よ)り、
「夜更(よさ)りだし、誰(だれ)も来ねべな」
って、首(くび)ばまわしてあたりうかがったら、間の悪(わる)いことにちょうど金貸しが何やらかかえて家を出て来た。
「ありゃ、あれに見つかったらあとで何言われるか分かんね」
って、木の蔭(かげ)さ隠(かく)れた。そうして、金貸しのすることをすっかり見聞きしたと。
和尚さま、おかしくってしょうがねえ。そのうち、
「こりゃ、いいどこめっけだど」
って、急いでお寺へ帰って、池のモッケをたくさんつかまえたど。
和尚さま、カメの中の銭コばみんな出し、かわりにモッケば入れて知らんふりしていたど。
次の晩、欲たかりの金貸しゃあ、今日取りたててきた銭コを入れようとて、裏の畑のカメを掘り出した。にんまりしながら、
「俺だや、俺だや」
ってささやいて、カメを開けて・・・びっくりした。
モッケがピョンコピョンコ、なんぼでも湧(わ)いて出て来たど。
挿絵:福本隆男
金貸しゃあ、必死(ひっし)で、
「俺だや、他人でねえ。モッケにならんでもいいがら、元の銭コになれ」
って叫(さけ)んだずども、モッケあ、あっちゃこっちゃピョンコピョンコ跳(と)んでいくずんだ。
したら金貸しゃあ、泣きべそかいて、
「こらあ、俺の銭コ、待じろーっ」
ってモッケのあとば追(ぼ)っかけで行ったど。
とっちぱれ。
お金のことなら、人を大切にすることをしないなんて怖いと思いました。( 20代 / 女性 )
昔、豊後(ぶんご)の国、今の大分県臼杵市野津町(うすきしのつまち)の大字野津市(おおあざのついち)というところに、吉四六(きっちょむ)さんという、頓知(とんち)の優(すぐ)れたとても面白い男がおったと。 その吉四六さんが、ある日、馬に荷を積んで売って歩いていたのだと。
「銭コがモッケになった話」のみんなの声
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