― 山梨県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、むかしの、おおむかし。
あるところにひとりの継母(ままはは)がおって、いつも継子(ままこ)の娘(むすめ)をいじめてばかりいたそうな。
ある日のこと、柿(かき)を十個(じゅっこ)、戸棚(とだな)の中にしまっておいて用達(ようたし)に出かけたと。
家には継子がひとりで留守番(るすばん)をしていて、戸棚の中の柿を食べたいなあ、と思ったが、食べると継母に怒(おこ)られるので手を出さなかったと。
やがて継母が帰って来て、戸棚を開(あ)けて見、
「おらはさっき、柿を十一しまって置(お)いたはずなのに、今見たれば十(とお)しかない。お前、ひとつ食ったんだろう」
と、いいがかりをつけた。
娘はびっくりして、
「おっ母さん、さっきおっ母さんがしまった柿は確(たし)かに十で、はじめっから十しかないどう。おら、食べたいと思ったけんど、手はつけとらん」
「そら見てみい、食べたいと思ったが何よりの証拠(しょうこ)。お前のいやしい心だけでひとつへった。お前の口は食わいでも、お前の心がひとつ食った。用達から戻(もど)ったれば、ひとつ位はお前にやろうと思案(しあん)しとったが、これでやめじゃ、ひとつもやらん」
「おら食うとらん・・・・・・はじめっから十しかなかったもん・・・・・・」
娘はべそをかきながら十だ、十だといっていたが、そのうちとうとう鳥になって、
「かきとお、かきとお」
と鳴(な)きながら、飛(と)んでいってしまったそうな。
また継母も、
「十一だ、十一だ」
と言い張(は)ったので、これもやっぱり鳥になって、
「じゅういち、じゅういち」
と鳴くようになったと。
継母と継子は、別の方へ飛んでいったので場所によって、時鳥(ほととぎす)の鳴き声がちがえて聞こえるんだってさ。
ごきとん とんまの末鳥(つぐどり)。
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むかし、あるとことに大きな沼(ぬま)があった。 沼の東のはずれに、兄と弟が隣(とな)りあって暮(く)らしてあったと。 兄は、沼のまわりの繁(しげ)り過(す)ぎた木の枝(えだ)を払(はら)ったり…
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