― 山梨県 ―
語り 井上 瑤
出典 「山梨の昔ばなし」和綴じ小冊子
整理 六渡 邦昭
むかし、日本中の武将(ぶしょう)たちが戦(いくさ)をしておったころ、甲斐の国(かいのくに)、今の山梨県は、武田信虎(たけだのぶとら)という人によって治(おさ)められていた。
あるとき、駿河(するが)の今川氏(いまがわし)が大軍(たいぐん)を率(ひき)いて甲斐の国に攻め込んで来た。けれども甲斐の軍勢(ぐんぜい)は、飯田河原(いいだがわら)で見事打ち破って、信虎は館の近くにある小高い山で、戦に勝った祝いの宴(えん)を開いたそうな。
山の上ですっかり酒に酔った信虎は、よい心持(こころもち)になって、うとうとといねむりを始めたと。
すると夢の中にひとりの女が現われて、
「今、奥方が男の子を産み落とされました。この子こそ、曽我五郎時致(そがごろうときむね)の生まれ変わりでございます」
と言うたと。
曽我五郎といえば、あだ討ちで有名な強い、強い武士(ぶし)だ。
はっと信虎が目を覚(さ)ますと、まもなく館(やかた)から、若君(わかぎみ)誕生の知らせがあったと。これが後(のち)の武田信玄(たけだしんげん)であるが、どうしたものか、この子は右手をしっかり握(にぎ)ったまま開かなかったと。
その頃、ひとりの坊様が駿河の山麓(さんろく)を旅していた。夜になって一軒の古びた家に泊ったら、そこの主人(あるじ)が、
「私は曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)と申しますが、弟の五郎時致が、先程甲州(こうしゅう)、武田信虎様の御子(おんこ)として生まれ変わりました。その証(あかし)に、若君の右手にはわが曽我家の家宝、金竜(きんりゅう)の目貫(めぬき)の片方をしっかり握っております。どなたが若君の右手を開けようとされても開けられません。館の東南(とうなん)、大泉(だいせん)という泉で洗えば右手は開くでしょう」
と言うて、ふところから目貫のもう片方を取り出して坊様に渡したと。坊様が、
「そんな不思議がまっことあるものじゃろうかい」
思うて、手渡された目貫をまじまじと見ていたら、その間に主人は、かき消すようにいなくなってしもうたと。
次の朝、坊様は甲斐の館へ急いだ。館へ着くと、信虎に会い、不思議な輪廻の話を申し上げ、目貫を渡したと。
そうして信虎ともども大泉へ行き、そこの水で若君の右手を洗ってみたら、手はたちまち開き、中から目貫の片方があらわれたと。
こうして若君は、曽我五郎時致の生まれ変わりと言われるようになり甲斐の国じゅうの者、皆々喜んだと。
信虎が夢を見た山には"夢見山(ゆめみやま)"という名がつけられた。
やがて若君は信玄となり、父信虎と同じく戦国の世にふさわしい武将となった。
信玄も合戦(かっせん)のあい間には、夢見山にのぼるのが好きであったと。
ある日、いつものように夢見山にのぼった信玄は、頂上(ちょうじょう)の大石(おおいし)にもたれて、うたたねをしたと。
すると夢の中にひとりの女があらわれて、三味線(しゃみせん)をひき始めたと。
信玄が目覚めると、その体にはクモの糸がぐるぐるに巻かれていたそうな。
そんなことがあってから、クモはたびたび信玄の夢にあらわれるようになった。そして白い糸を吐いては戦勝(せんしょう)を告(つ)げ、赤い糸を吐いては負け戦になるから用心しろと知らせてくれたと。
そのためか、信玄は大層(たいそう)戦に強い武将となっていった。
信玄がもたれて夢を見た石は"夢見石(ゆめみいし)"と呼ばれるようになり、この石に腰かけて眠ると、良い夢が見られると、今だにいわれている。
これでひっちまい。
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むかし、ある村に藤六(とうろく)という百姓(ひゃくしょう)がおったと。 ある日のこと、藤六が旅から村に帰って来る途(と)中、村はずれの地蔵(じぞう)堂のかげで、一匹の狐(きつね)が昼寝(ね)しているのを見つけた。
「夢見山と夢見石」のみんなの声
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