― 山形県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかしむかし、ある村に東の家と西の家とがあったと。
東の家は長者どので、大っきな屋敷(やしき)に蔵(くら)もあり、子沢山(こだくさん)だったと。
西の家は貧乏(びんぼう)どので、小っさな家に爺(じい)さと婆(ばあ)さの二人っきりだったと。
あるとき、一人のみすぼらしい旅の坊さんがやってきて、東の長者どのの門口(かどぐち)へ立った。
鉢(はち)を手にしてお経を唱えていたら、東の長者どのは、
「お前のような乞食坊主(こじきぼうず)にやるものは、この家(や)には何も無い」
と言うて、けんもほろろに追いかえした。
坊さんはとぼらとぼら歩いて、今度は西の貧乏どのの軒下(のきした)に立った。お経を唱(とな)えていたら爺さが出てきて、
「ありがたいことです。おら家(え)には銭(ぜに)も米も無いげんど、そばぐらいなら進(しん)ぜますべ」
と言うて、家の中へ招(しょう)じ上げた。
婆さんが、
「坊さま、今日はもうおそいから、こんなボロ家でよかったら泊まったらいいべ」
といいながら、そば粉を練(ね)ってカイモチを作り、出したと。
食べおえた坊さん、合掌(がっしょう)して、
「爺さと婆さのご親切、身にしみてありがたいことです。何かお礼をしたいと思うげんど、何がええか」
と言うた。
「なんの礼なんかいらね」
「んだ。坊さまに施(ほどこ)しするのはあたりまえのことだ。見た通りの貧乏家(びんぼうや)なもんで、こんなことしか出来なくて、かえって申し訳ない位だ」
「何か困っていることは無いべか」
「それは、まあ、困っているっていえば、年取ってしまって身体(からだ)が言うこときいてくれないことかねぇ。ねぇ爺さ」
「そだな。銭米無くても身体が動けば食うてはいけるからな。まあ、こればっかりはどうしょうもねえべ」
と、爺さと婆さが言うたら、坊さん、
「それは造作(ぞうさ)もない」
と言うて、頭陀袋(ずだぶくろ)から黄色い粉を出した。
「お湯立てて、二人一緒に入れ」
と言うので、風呂沸(わ)かして二人一緒に入ったら、坊さん、その黄色い粉を湯に入れてかき混ぜた。
そしたら身体じゅうがこそばゆくなって熱っつくなったと思う間に、二人の腰(こし)がジンジンジンと伸び、爺さのヒゲがポロポロポロッと抜け落ち、婆さの白髪(しらが)が黒々となってきて、身体じゅうの皺(しわ)も無くなった。つるんとなった。
「ありゃぁ、ありゃぁ、婆さが」
「あれぇ、あれぇ、爺さが」
爺さは二十歳(はたち)手前の、婆さは十五、六歳のはじけるような若者になった。
二人が急に恥(は)ずかしそうな仕草をしたら、坊さんが笑って、
「明日、東の長者の家へ行って、あいさつしてくるがいい」
というた。
次の日、爺さは東の長者どのの屋敷へ行きあいさつしたと。
「おれは西の家だが」
というたら
「西の家の貧乏ったれだったら、まっと年寄りだべ」
「んだ、昨日(きんのう)まではな。お前(め)ん家(ち)が追い帰した坊様な、うちに泊めたらお礼だちゅうて若くしてくれた」
「婆さもか」
「んだ、婆さなんぞ、おれより若い」
「その薬、おれにもくれ」
「んだら坊様に話してみる」
って、家に戻って来たら、坊さん
「この薬持っていってやるといい」
というて、赤い薬をくれた。
赤い薬をもらった東の長者どのの屋敷では、
「みんな一緒に入らないとなんねぇ、ちゅてたな」
というて、旦那も奥方(おくがた)も子供も使用人も、みんな一緒に大っきな風呂に入った。
そしたらなんと、旦那と奥方は猿(さる)になり、子供はネズミに、使用人は羊になったと。
猿になった旦那と奥方が、夜な夜な西の家にきて、キィー、キィーとうるさい。
どうも文句を言っているらしい。そうしたら坊さん、
「そんなら、真っ黒い石を二つ焼いて外に並べておけ」
というた。
黒い石焼いて並べて置いたら、夜、猿になった旦那と奥方が来て腰掛けた。そのとたん、じゅうっと音がして、煙(けむり)が立って、尻やけどしたと。
「キキキィー」
となき叫(さけ)んで山へ逃げて行き、再び里へは下りてこなかったと。
猿の尻が赤くなったのは、これからだんだそうな。
若くなった爺さと婆さ、西の長者どのの空屋敷(あきやしき)へ引越(ひっこし)して、一生安楽に暮らしたと。
どんぴんからりん すっからりん。
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「東の長者と西の貧乏どの」のみんなの声
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