― 京都府 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、あるところに大層縁起(えんぎ)かつぎの長者(ちょうじゃ)がおったと。
ある年の正月、村の和尚さんが正月膳(しょうがつぜん)に招(よ)ばれて長者の家に行ったと。
たくさんのご馳走(ちそう)だ。和尚さんはあれも食べこれも食べして大いに満腹したと。
お茶になって、女子衆(おなごし)が土瓶(どびん)を持って来た。
つごうとしたはずみに土瓶を箱火鉢(はこひばち)にぶち当てて、パカーンと割れたと。
そしたら長者が、正月早々ものをこわすとは縁起が悪い、とカンカンにその女子衆を怒った。
和尚さん、まあまあ、ととりなして、
「ものは考えようじゃて。ひとつ詠みなんぞをごひろうして縁起をかえてみようほどに」
というて一句、
「どんとひんとをぶち割って、お手に残るは金のつるなり」
と、詠んだ。
そしたら長者は、ハタとひざを打ち、
「金(かな)づるが残ったとは、こりゃ縁起がよい」
と喜んだと。
端(はた)で土瓶のつるを持って縮(ちぢ)こまっていた女子衆、手をついて和尚さんにお礼をいうたと。
ところへ今度は別の女子衆が雑巾(ぞうきん)を何枚も持ってきて、あちらこちらにこぼれたお茶をサッサ、サッサと拭(ふ)いたと。
さあ、今喜んだ長者の顔が変わった。色をなして怒った。
「この正月のめでたいときに、座敷を雑巾なんぞで汚(けが)すとはなにごとだ。掃(は)く拭くは『福を掃き出す、拭きとる』いうて、正月にはせんもんぞ。縁起が悪い。このたわけ」
と、カンカンだ。女子衆はおろおろしてる。
それを見た和尚さん、
「いやいや、それは怒るようなことではない。むしろ、めでたいことだ」
というて、にこにこしてる。長者がけげんな顔で、
「何でですか。昔から正月は掃除はせんでしょうが」
というと、
「そんなら、こんな歌はどうですかな。
ゾウキンと いう字は当て字で 蔵と金 あちら福々 こちら福々」
と詠んだ。
長者、
「なるほど、これはおそれいりました。正月早々から、あちら福々 こちら福々。福がいっぱいですか。いや、結構、結構」
と、前にも増して大喜びしたと。
女子衆たちは、皆々先を争うて和尚さんに般若湯(はんにゃとう)をついだと。
縁起かつぎのこうしゃくなんちゅうても、こんなもんよ。
むかしのたねくさり。
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昔、あるところに兄弟があったと。 兄は病気で目が見えなくなり、食べ物を探しに行けなくなったと。 弟は、一人で食べ物を探しにきては、兄にいいところを食べさせ、自分はまずいところばかり食べていたと。
昔はね、どこもかしこも貧しかったでしょ。だから、女子は家のことは何でもやらなきゃならなかったの。縫い物は特にそうね。破れ物の繕いや、着物を縫い上げるなんてのは当たり前のことだった。
「縁起担ぎ」のみんなの声
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