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くじらのくろかわ
『鯨の黒皮』

― 高知県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭

 昔、土佐(とさ)の中村(なかむら)に泰作(たいさく)さんという剽(ひょう)げた男がおって、とぼけた話しをたくさん今に語り残している。
 あるとき、旅で相宿(あいやど)になった客に、
 「お前(ま)さんは普通の仕事をしよる人のようには見えんが、いったい何を商売にしよる方(かた)ぞのうし」
と問うたと。相手は、
 「絵師でございますらァ」
と、のんびりした顔で答えたと。それがあんまりにのどかにいわれたもので、泰作さん、剽六(ひょうろく)ごころがでた。
 「わしもやっぱり絵の方をやるが」
というてやったら、絵師は「ほおっ」という顔つきで泰作さんを上から下へ、下から上へとながめたと。 

 
 泰作さんは剽六だけに相手の心(こころ)の内(うち)を読むのがうまい。
 「ははぁん、こん人は今、嘘(うそ)か真実(まこと)か見きわめかねちょるな」
 「おっ、わしがどれほどの絵を描くか値踏(ねぶ)みしちょるぞい」
と楽しんでいるうちに眼と眼が合(お)うた。泰作さん、おもむろにうなずいてやったと。
 すると絵師は急に真顔(まがお)になって、
 「そりゃァええ人に会えた。ぜひ腕(うで)を見せてくれぇ」
という。
 「そりゃかまわんが、まずはお前(ま)さんのを見せちょくれ」
 「承知(しょうち)」
ということになり、まず本物の絵師が矢立(やたて)の筆を出して墨(すみ)をつけ、半紙の上にさらさらと鮎釣(あゆづ)りの風物絵(ふうぶつえ)を描いた。静かな時の流れの中に緊張感(きんちょうかん)があふれ、それでいて全体としてはのどかな、いい絵だと。 


 ほれぼれと見とれていた泰作さん、ふと我(われ)にかえって、ここからが剽六魂(ひょうろくだましい)。
 「こりゃァまだ物の見方が出来ちょらん。ここのな、釣り竿(ざお)かついで水から上って来た人がおろう。人が水から上ってきた時にはスネの毛はぴったり寝ちょるもんじゃに、この絵はみんな立っちょる」
と難癖(なんくせ)をつけたと。 

 
 今度は泰作さんが描く番になった。
 宿(やど)の仲居(なかい)が宿帳(やどちょう)とともに持って来た硯(すずり)を取り寄せ、ちょっと考えるふりをして、やがて紙いっぱいを真っ黒に塗(ぬ)りたくった。


 絵師がいぶかし気(げ)に、
 「こりゃァ何です」
と問うと、
 「鯨(くじら)よ」
と答えた。
 「鯨、ねえ。ただ墨を塗りたくっただけにみえるが」
 「これは黒皮(くろかわ)で、鯨というもんは三十三尋(ひろ)もあるもんじゃきに、一枚紙にはとても描ききれん」 
 泰作さん、こういうて、にやり笑うてやったと。

 昔まっこう猿まっこう 猿のつびゃぁ赤い。

「鯨の黒皮」のみんなの声

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