面白い( 20代 )
― 岩手県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、あるところに貧しい山寺があって齢(とし)をとった和尚(おしょう)さんがすんでおったそうな。
和尚さんは年老いた虎猫を飼って子供のように可愛がっておった。
ある日のこと、和尚さんが炉端(ろばた)で居眠りをしていたら、虎猫が、
「和尚さま、和尚さま、お前さまも大分齢をとったで、世間では相手にしなくなって来たな。おらも随分長いことお世話になって、もう化けるような齢になってしまった。したども、何とかその恩返しをしたいと思って」
という。
和尚さんは、猫が口をきいたので、びっくりしていると、つづけて、
「和尚さま、おらはこのごろ、この寺をもういっぺん繁昌(はんじょう)させて、和尚さまに楽させたいと思うだ。おらにいい思案(しあん)がある。近いうちに長者どんの一人娘が死ぬけど、その葬式(そうしき)の時に、おらが娘の棺桶(かんおけ)を空に浮かすから、和尚さまがお経を読んでけろや。そのお経の中に『南無(なむ)トラヤヤ、トラヤヤ』と声を掛けたら、おらがその棺桶を下へおろすべ。そしたら、そののち、きっといいことがある」
と、言ったそうな。
間もなく、猫の言葉通りに長者どんの一人娘が病気で死んだと。
葬式は、あちらこちらの寺の和尚さん達を招(まね)いて、ごうせいなものだと。
ところが、この山寺の和尚さんだけは招かれなかったと。
葬式が、いよいよ野辺送(のべおく)りというときになって、どうしたことか、棺桶がしずしずと空へ上がっていって、高い高い中空に浮いてしまった。
あまりの不思議さに、人々は驚いて、
「あれれ、あれれ」
というばかりだと。長者どんは、
「あの棺桶を下ろしてけろ。その者には死ぬまで年貢米(ねんぐまい)もやる。お寺の普請(ふしん)もする。望みによっては、門も鐘撞堂(かねつきどう)も、何でも寄進(きしん)してやる」
と叫んだと。
挿絵:福本隆男
そしたら、多勢(おおぜい)の和尚さんたちは、一層声高(こわだか)に、空を仰(あお)いでお経をよみはじめた。
しかし、やっぱり棺桶は空に浮かんだまんまだと。
いよいよ困り果てた長者どんは、
「こりゃ、何としたもんだべ。誰か他に和尚さんは、残っとらんか」
と聞くと、村の衆は、
「へえ、あとは、あの山寺の和尚さんがひとりだけ残っているだけでござんす。しかし、連れて来ても役には立ちますめえ」
と、いった。
「いやいや、ともかく、その和尚さんを早うお連れしろや」
村の衆が迎えに行くと、山寺の和尚さんは破れた法衣(ほうい)を着て、杖をついて、のんびりのんびりやって来たと。
そして、空を仰ぎ見ながら、ゆっくりとお経を読みはじめた。いいかげんのところで、
「南無トラヤヤ、トラヤヤ」
と、猫に教(おそ)わった文句を誦(よ)みこんだ。
すると、今まで中空に浮いていた棺桶が、そろり、そろり降り始め、やがて下に着いたと。
(そしたら、長者どんも、村の衆も、みんな山寺の和尚さんの足下(あしもと)にひれ伏して拝(おが)み、口ぐちにほめたたえたと。)
他の多勢の和尚さんたちは、すっかり面目(めんもく)を失って、コソコソと逃げるようにして帰って行った。
それからのちは、貧しかった山寺はたちまち建て直されて、山門(さんもん)も鐘撞堂も作られて、見違えるような立派なお寺になったと。
和尚さんは、まるで生き仏(いきぼとけ)のように崇(あが)められて、余生(よせい)を安楽に暮らしたそうな。
いんつこ もんつこ さかえた。
面白い( 20代 )
ある夏の夜のこと、十人近い子どもたちが肝だめしをやろうと大きなお寺の前に集った。 「なんだかお化けが出そうだなぁー」 「平気、平気、お化けなんか出るわけないよ」 「でも、やっぱり、こわいなぁー」子どもたちは、わいわいがやがやさわいでいた。
「猫檀家」のみんなの声
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