おきゃらいがかわいそうかをいそうおきゃらいは、ぎせいなんあたけどむらがのろわれた( 10代 / 女性 )
― 茨城県 ―
語り 井上 瑤
再話 藤田 稔
整理 六渡 邦昭
むかし、常陸(ひたち)の国、今の茨城県水海道(みつかいどう)のあたりで、何日も何日も雨が降り続いた年があったと。三月初めのころから降り始めて、四月になっても降(ふ)り止(や)まん。
鬼怒川(きぬがわ)べりでは、いまにも堤防がくずれ、にごった川の流れに押し流されそうになっている村があった。
挿絵:福本隆男
村人たちは、恐(おそ)れうろたえ、誰言うともなく、
「人柱(ひとばしら)をたてて、竜神(りゅうじん)さまの怒(いか)りを鎮(しず)めないと村が流される」
という声が広まったと。
人柱というのは、誰かを犠牲(ぎせい)にして川に沈(しず)め、神さまに祈ることだ。
しかし、人柱にする人がいない。そりゃそうだ。誰しも我(わ)が子をいけにえにはしたくないからな。すると誰かが、
「おきゃらがいい、おきゃらを人柱にしよう」
と言い出した。
おきゃらというのは、母と娘と二人で諸国(しょこく)を巡礼(じゅんれい)して水海道まで来たとき、母が病気で亡(な)くなり、ただひとり残された娘だった。気立てのやさしい、かわいい娘だったと。村の名主が可哀そうに思って奉公人として養(やしな)っていたのだと。
名主は反対したが、かといって代わりの人はいない。
雨はますます強く降り、鬼怒川の水かさはどんどん増えてくる。このままでは村は助からない。名主もとうとうおきゃらを人柱にすることに賛成したと。
村人たちは、いやがるおきゃらを無理やり鬼怒川べりに連れて来た。
挿絵:福本隆男
何をされるのかと恐がってふるえているおきゃらに重石(おもし)をくくりつけると、
「村のためだ。犠牲になってくれ」
といって、うずまく流れの中に投げこんでしまった。
おきゃらは、あわれな悲鳴(ひめい)と水音を残して沈んでしまったと。
次の日、あんなに降り続いた長雨(ながあめ)が、うそのように止んで青空が広がったと。
堤防(ていぼう)もかろうじて持ちこたえ、村は洪水に押し流されないで済んだと。
しかし、しばらくすると、村に悪い病気がはやり始めた。村人たちは、
「これは、おきゃらを人柱にしたためだ」
といいはじめたと。そのうち、
「川の中からおきゃらの泣き声が聞こえる」
といって恐がる人も出てきたと。
村人たちは、おきゃらの魂(たましい)をなぐさめることにしたと。
名主をはじめ、村人がこぞって鬼怒川べりに集まって、盛大な供養をしたと。そして、川の近くの、今の水海道市にある安楽寺(あんらくじ)を菩提寺(ぼだいじ)と決め、おきゃらの霊(れい)をとむらったと。
そしたら、悪い流行病(はやりやまい)もおさまり、村はふたたび穏(おだ)やかになったと。
挿絵:福本隆男
村人の中には、これをありがたく思い、おきゃらの供養のためにと、安楽寺に土地を寄付する者もあった。その田畑は今でもおきゃら面と呼ばれて残っている。
地元では、この話しを実際にあったこととして語り伝えているのだと。
おしまい。
おきゃらいがかわいそうかをいそうおきゃらいは、ぎせいなんあたけどむらがのろわれた( 10代 / 女性 )
おきゃらがかわいそうです。病気が流行って、供養されたのは救いです。村人も、おきゃらの事が気になっていたので、病気が流行った時におきゃらのたたりだと思ったのでしょう。あとで悔いが残るような事が起きてわいけない事なのでこんな事ないようにしたいと思いました。( 30代 / 男性 )
かつて水海道と同じ県南に長年住んでいましたが、おきゃらの話しは初耳でした。 機会があれば安楽寺を訪ね、手を併せたいと思います。( 50代 / 男性 )
むかし、信濃(しなの)のある村の坂の上にポツンと一軒家(いっけんや)があり、ひとりの婆(ばば)さが住んでおった。 婆さは男衆(おとこし)が呑(の)む酒を一口呑んでみたくてしようがなかったと。
むかし、あったけど。あるところに爺さまがあって、山の中で働(はたら)いていたと。せい出して働いていたら帰り時をあやまったと。じきに暗くなって、爺さま道に迷って困っていると、向こうの方に灯(あかり)がテカン、テカンと見えた。
「川にしずめられたおきゃら」のみんなの声
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