― 山梨県西八代郡 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、駿河(するが)の国、今の静岡県(しずおかけん)の※安倍(あべ)というところに、亭主(ていしゅ)に死なれた母親と二才の赤ん坊がおったそうな。
母親は、毎日赤ん坊をおぶってはよそのお茶摘(つ)みを手伝って、やっと暮らしておったと。
ある日、眠った赤ん坊を畑の畔(あぜ)に寝かせて、茶を摘みながら、段々(だんだん)向こうへ行ったと。
そしたら、一羽の鷹(たか)が飛んで来て、赤ん坊をつかんで、わっさわっさと飛び去(さ)って行った。
あっという間の出来事だったと。
※静岡県安倍:現在の静岡市葵区
「おおい、今、大っきい鳥が何かつかんでいったぞぉ」
という声に、はっとした母親があわてて駆(か)けつけたら、寝ているばずの赤ん坊がおらん。
「あわわわぁ。赤児(あかご)が、おらの赤児があ」
と、狂(くる)ったように泣き叫(さけ)んだと。
その日から、母親は、鷹が飛び去った西の方角をさして、探(さが)し歩く旅が始まった。
山の方へ行っては、
「山で赤児の泣き声聞かんかったか」
川の方へ行っては、
「赤児が流されてこなかったか」
通りがかりの人をつかまえては、
「赤児をつかんだ鷹を見なかったか」
そうして、いつしか十三年が経(た)ったと。
母親は、とうとう乞食(こじき)のようにボロボロになって、大和(やまと)の国、今の奈良県(ならけん)へやって来た。
ある日の暮(く)れ方、食うや食わずでふらふらになりながら、とある茶屋に寄って、
「水を飲ませて下され」
というと、茶屋の婆さんは、
「あんた、何でそんなかっこうしとる」
と聞いた。母親は理由(わけ)を話したそうな。すると、婆さんは、思いがけないことをいった。
「ここから少し離れたところに東願寺(とうがんじ)というお寺さんがあるが、そこのお小僧(こぞう)さんは杉の木のてっぺんから生まれたというよ。何でも、杉の木の洞(うろ)で泣いているのを和尚(おしょう)さんが見つけたときには、二つばかりの赤子(ややこ)だったと聞いとる。そのお小僧さんは、毎朝、庭のでっかい杉の木へお参(まい)りしてからでないと、朝ご飯を食べないという話だ」
それを聞いた母親は、礼をいうのもそこそこに、胸(むね)おどらせて東願寺へ行ったそうな。
着いてはみたものの、こんな乞食姿で真夜中(まよなか)に訪(たず)ねるのも気がひけて、お堂(どう)の軒下(のきした)でまんじりともせずに過ごしたと。
あたりが白(しら)んだ頃、十四、五にもなる一人の小僧さんが、大きな杉の木の前へ来て手を合わせた。遠目(とおめ)にも、死んだ亭主にそっくりな子だったと。
「ああ、よくも達者(たっしゃ)で、こんなにも大きくなっていてくれた」
というて、もう嬉(うれ)しくて嬉しくて、なりもふりもかまわず、小僧さんの後を追(お)って寺へ入った。
「お前はおれの子だ。おらあ、お前になんぼ会いたかったか知れんぞ」
と、いきなり抱きついた。
小僧さんも和尚さんもこれにはびっくりした。和尚さんは、
「お前の子だという証(あかし)はあるか」
というと、母親は、
「この子は十三年前に鷹にさらわれた子で、そんときは、袷(あわせ)も肌着(はだぎ)も兵児帯(へこおび)も、みなおれん手織(ており)の同じ布(ぬの)でこしらえた着物を着せといた。袷の左のエリに、西国(さいごく)三十三番の観音様(かんのんさま)を縫(ぬ)い込(こ)んでおいた」
と話すと、和尚さんは、
「おう、おう、いかにもその通りじゃった」
というて、奥(おく)から小さい着物を取り出して来た。
母親は一目(ひとめ)見るなり、
「これじゃ、これじゃ」
というて、着物をかかえていよいよ泣いたそうな。
母親と小僧さんは、はじめて親子の名乗りをして、抱(だ)き合(お)うて喜んだと。
和尚さんは、母親の身の上を聞くとかわそうに思って、お寺の掃(は)き掃除(そうじ)をさせて、一生、小僧さんともどもそこへ置いてやったと。
いっちんさけぇ。
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むかし、あるところにケチで欲深な婆ぁが住んでおったと。ある暖かい春の日のこと、婆ぁが縁側でコックリ、コックリしていると、頭の上で、チイッ、チイッと鳥の啼き声がした。
「鷹にさらわれた児」のみんなの声
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