やっぱり罰は、あたりはダメですね。
― 山形県 ―
再話 野村純一・野村敬子
整理・加筆 六渡 邦昭
語り 井上 瑤
むがし、むがし。ある村さ、若げ夫婦者がいだったと。
そごの家には、昔から貧乏神(びんぼうがみ)が一人、ずっと住んでいだったと。
その若げ夫婦者、酒も飲まねし、煙草(たばこ)もやらねで働ぐ一方だどや。すっと、金の貯(た)まるもんでな、どんどど金持ちになっていぐけど。
すっと永年(ながねん)住み慣(な)れた貧乏神(びんぼうがみ)、とてもじゃねえが住んでいらんねぐなったど。
ある年越(としこ)しの晩な、家の天井(てんじょう)の方で、泣ぐ声すっと。
「誰泣ぐど思っだれば、お前誰だや」
挿絵:福本隆男
「俺は、実は、こごの家さ永い年月(ねんげつ)厄介(やっかい)になった貧乏神だどもな、今日はこの家に福の神の到着する日になったさげ、俺は、もう終わりで、別の家さ行がなくてはなんなくなった。ほんでも、行きでぐねしなや。ほんで、泣きめそ面(つら)しったなです」
「ないだて。今まで居続げて呉(く)ったもの、行がねでは。ずっと、こごさ住んでくったらええねがや。
福の神なの、追っ払ってやれ。福の神来ねたていいべ。来たら追い出してけっさげて。
今までどおり、おらえの天井さすんでで呉(け)ったらなんたや」
「ほだほだ。俺達二人して手伝ってけっさげて、福の神なの追い出すべ。追っ払えや」
すっと、貧乏神、喜んでな。
「ほんなら俺どさ飯(まま)ば喰せでくほ。腹さ力入らねくてや。どうが一膳喰せで下せや」
って、大っきな鮭(さけ)のおかずで、飯(まま)ば一鍋(ひとなべ)喰ったけ。
「大層(たいそう)ご馳走(ちそう)であった。どうが、俺どさ応援(おうえん)してけろ。今、福の神が来るなば、追い出すさげで」
そごさ、福の神が来たどな。
「こら、貧乏神。こんげ働く家さ、お前(め)なの向かん。さぁ、早ぐ出て行げっ」
って、すぐにも入れ替りそうだど。若げぇ二人が、
「おい、おい。俺達応援してるの忘れんな。ほら、応援してるさげて。負げんなよ」
って、応援してだれば、福の神、おっかなくて家さ入らねどは。とうどう、福の神、逃げだ。逃げるどき、打出の小槌(こづち)ば忘れで行っだど。
挿絵:福本隆男
「ああ、えがったちゃ。こりゃ、打出の小槌ていうもんだ。こりゃ、良えもの置いでってくった。こりゃ立派(りっぱ)だ」
貧乏神喜んで、
「米出ろ」
「味噌汁(みそしる)喰いてえさげ、味噌出ろ、金出ろ」
って叫ぶと、ちゃんとその物が出てくるど。
米も山盛り、何もかも一面物(いちめんもの)ばりにして、貧乏神大喜びだど。
「こりゃ、見事」
ど、貧乏神は、打出の小槌持って、もうすっかり福の神になった。福の神になって、そごの家で、ますます栄えで、評判高ぐなったというごんだ。
挿絵:福本隆男
どんべすかんこ ねっけど。
やっぱり罰は、あたりはダメですね。
結局、住んでいる神に関係なく、裕福になるのも貧乏になるのも人次第だという話とも捉えました。 一般的には招かれる側の福の神が追い出されることになるなんて誰が想像出来るでしょうか。( 20代 / 男性 )
なぜ、福の神は貧乏神だけで追っ払っても逃げなくて人間のおうえんが入ると恐ろしくなって逃げたのかふしぎです。( 10歳未満 / 女性 )
むかしは染物(そめもの)をする店を普通(ふつう)は紺屋(こうや)と呼んだがの、このあたりでは紺屋(くや)と呼んどった。紺屋どんは遠い四国の徳(とく)島からくる藍玉(あいだま)で染物をするのですがの、そのやり方は、藍甕(がめ)に木綿(もめん)のかせ糸を漬(つ)けては引きあげ、キューとしぼってはバタバタとほぐしてやる。
とんとむかし。あるところに、兄と弟が住んでおった。あるとき、兄は病気になって、ちっとも働けんようになってしまった。それで、弟は、 「あんちゃんの分まで、おれが働かないかんな」と、毎日毎日、汗みどろになって働いていた。
「福の神になった貧乏神」のみんなの声
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