またじろを想う和尚さん、子を想うまたじろ、ちょっと切なくなりました。( 30代 / 女性 )
― 和歌山県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
昔、和歌山(わかやま)のご城下(じょうか)に珊瑚寺(さんごじ)というお寺があったんだと。
そのお寺の本堂の床下(ゆかした)には “またじろ” という狸(たぬき)が棲(す)んでいたんだと。
いったいいつごろから棲みついたのか、何で “またじろ” という名前がついたのか、小僧(こぞう)さんも和尚(おしょう)さんも知らんかったけれど、とにかく二人と一匹(いっぴき)は仲良く暮(く)らしていた。
ある日のこと、お寺に風呂敷包(ふろしきづつみ)を背負(せお)った一人の男が訪(たず)ねてきたんだと。
「私は京都(きょうと)から来た呉服屋(ごふくや)どすけど、先日ご注文いただいた産衣(うぶぎ)を持って参(さん)じました」
応対(おうたい)に出た小僧(こぞう)さんは目をパチクリ。
「うちのお寺は、和尚さんと私の二人暮らし、そんな産衣なんぞ用のあるはずはないしーー何かの間違いと違(ちが)いますかのし」
「いいえ、確かに和歌山の珊瑚寺から来た、と言わはりました」
呉服屋さんは、こう言って引き下がろうとせん。
そこへ和尚さんが出て来て、「これはひょっとすると…」と思い当たることがあったんで、ともかく、お金を払って呉服屋さんを帰らした。
実は和尚さんは、この頃(ごろ) “またじろ” のお腹が大きいのには気がついていたんだと。
和尚さんは、その産衣を持って床下へもぐっていった。
そしたら、いつの間に生まれたのか、可愛(かわい)い狸(たぬき)の赤ちゃんが “またじろ” のオッパイに吸(す)いついている。
和尚さんはその産衣を掛けてやり、
「こりゃぁやっぱり。 “またじろ” の仕業(しわざ)かもしれんな。これから床下は寒(さむ)いので注文したのかも知れん。じゃが、これ、”またじろ” こんなことでお寺に迷惑(めいわく)を掛けてはいかん。ええな」
そう言って戻って来たんだと。
ところがその晩(ばん)に和尚さんが、へんな夢(ゆめ)を見たんだと。その夢にはしょんぼりした “またじろ” が出てきて、こう言うんだと。
「和尚さまぁ、 “またじろ” はえらいことをしでかしました。京都で注文したら、ここまで聞こえんかと思って、子供可愛さについつい注文してしまったのです。もうこのお寺にご厄介(やっかい)になっているわけにはいきません。あすにでも子供を連(つ)れて出て行きます。どうぞお許(ゆる)し下さいませ」
和尚さんがびっくりして、
「やっぱしお前だったのか。でもどうやって産衣を注文しに行ったんだ」
と訊(き)くと、 “またじろ” は、いよいよ小さくなって、
「はい、女の人に化けて行ったんです。本当に申し訳のないことをしました」
と詫(わ)びるんだと。気のいい和尚さんは、すっかり可哀想(かわいそう)になって、
「よしよし、もういい、一度だけは許してやるよって、ここに居たらいいがな」
と言ってやったけど、 “またじろ” はどんどん遠ざかって行ったんだと。
次の朝、和尚さんは朝のおつとめをしていても、どうも昨夜(ゆうべ)の夢が気になってしかたがない。
お経もそこそこにして、和尚さんが床下へもぐり込んでみると、巣のあったところはきちんと片付けられていて、 “またじろ” 親子の姿はどこにも見当たらんのだと。
和尚さんも小僧さんも急にさびしくなった。
それから一年ほど経(た)ったある朝、お寺の本堂の前に、山芋(やまいも)や果物(くだもの)などがどっさり置かれてあるのを小僧さんが見つけた。
「これはきっと ”またじろ” が恩返しのつもりで届けて来たんだろう。それにしても “またじろ” はどこでどうしているやら」
和尚さんと小僧さんは、“またじろ” が懐(なつ)かしくってならなかったんだと。
もう そんだけ。
またじろを想う和尚さん、子を想うまたじろ、ちょっと切なくなりました。( 30代 / 女性 )
とんとむかし、土佐(とさ)の窪(くぼ)川の藤(ふじ)の川に、久米七(くめしち)という男がおったそうな。土佐の人ではなく、肥後(ひご)の生まれとか、また、久米(くるめ)の仙(せん)人の生まれかわりとか言われたりして、その正体ははっきりせざったと。
むかし、新潟県の佐渡島では、ときどきとてもつもなく大っきな蛸が浜辺にあがってきては、馬にからみついたりして、悪さをしたそうな。あるとき、大佐渡の男が馬をひいて相川という賑やかな町まで買い物に出たと。
むかし、窪川(くぼかわ)の万六(まんろく)といえば、土佐のお城下から西では誰一人として知らぬ者はない程のどくれであったと。ある日、あるとき。旦那(だんな)が所用(しょよう)があって、高知(こうち)のお城下まで行くことになったそうな。
「またじろと和尚さん」のみんなの声
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