― 徳島県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
とんと昔の話じゃが。
あるところに隣(とな)り合う国があったそうな。
こっちの国には童孟(どうもう)という医者がござらして、日本一という評判(ひょうばん)だ。
あっちの国にも孔孟(こうもう)という医者がござらして、これも日本一という評判だ。
あるとき、隣り合うた国と国とが戦になったと。
槍(やり)で刺される者がいる、刀(かたな)で斬(き)られる者がいる。
ところが、こっちの国の童孟も、あっちの国の孔孟も、誰かが倒れるそばから、斬られた腕(うで)をくっつけ、折られた足を接(つ)ぎ、はねられた首をひっつけていった。
殺しても殺しても生き還(か)えらせるもんで、ちいっとも人は減(へ)らない。
そのうちに、くたびれはてて、両軍(りょうぐん)、勝負なしということになった。
それからしばらくたったある日、童孟と孔孟が道でパッタリ出合うた。
そこで話しをするうちに、二人は腕競(うでくら)べをして見んか、ということになった。
始めは童孟が孔孟の首を斬った。そして、すぐ継(つな)げたが接ぎ目がわからん。
次に孔孟が童孟の首を刎(は)ねて接いだが、これも接ぎ目がわからん。
どっちも上手(じょうず)で、勝負(かちまけ)がわからん。
「そんなら、首骨(くびほね)の早接(はやつ)ぎを同時にしてみまいか。一緒に斬って、一緒に接ないだら、ちいとでも早かった方が勝ちというのはどうだ」
「そりゃ、ええ考えだ」
と相談が出来て、二人とも刀を肩に担(かつ)いだ。
童孟が孔孟の首を、孔孟が童孟の首を、
「ヤーッ」
とかけ声もろとも斬り落としたと。
そしたら、二人とも吾(わあ)の首が無(の)うなったきに、童孟の首がどこにあるのやら、孔孟の首がどこにあるのやら、吾(わ)れはもちろん、相手にもわからん。首の早接ぎどころではない。
二人とも、童孟ならんし、孔孟ならん。
どうもこうもならざった。
今もいう「どうもこうもならん」というのは、ここからきた言いまわしだと。
ほんけまっことおったんじゃと。
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むかし、ある村に藤六(とうろく)という百姓(ひゃくしょう)がおったと。 ある日のこと、藤六が旅から村に帰って来る途(と)中、村はずれの地蔵(じぞう)堂のかげで、一匹の狐(きつね)が昼寝(ね)しているのを見つけた。
「童孟と孔孟」のみんなの声
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