― 埼玉県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、むかし、あるところにおっ母(か)さんと息子とが暮らしてあった。
息子は親不幸者であったと。
春になったので、おっ母さんが田んぼの代掻(しろかき)に行くぞ、といえば、息子は、
「俺ァ今日はいそがしい」
というて、川へ春魚(はるざかな)獲(と)りに行き、
五月(さつき)になったので、おっ母さんが田植えに行くぞ、といえば、息子は、
「俺ァ今日はいそがしい」
というて、山へ行って春鳥(はるどり)追(ぼ)っかけ、日がな一日遊んで、ちいっともおっ母さんを助けないのだと。
おっ母さん、ひと仕事も、ふた仕事も終えて、ほうと息ついたら、背中がかゆうてかゆうてたまらんようになった。息子に、
「背中掻(か)いてくれ、かゆ、かゆ、あーかゆい」
と言うて背中向けたら、息子は、
「俺ァ今、手がはなせない」
というて、野兎を獲る仕掛を作っているのだと。
おっ母さんは仕方なく、庭の松の木の瘤(こぶ)のところへ行って、背中をこすりつけたと。
そしたら背中が破れて、それがもとで死んでしもうた。
息子は、おっ母さんが死んではじめて、
「あのとき俺が掻いてやっていたら、おっ母さんの背中も破れなかったし、死にもしなかったなあ」
というて、親不孝を悔(く)いたと。
それで、
「掻いたげたらよかった。今なら掻こう。かっこう、かっこー」
というとったら、神様がその有り様(ありさま)をよーくご覧になっていて、息子を郭公鳥にしてしまわれた。
それで息子は、今でも、カッコー、カッコーと鳴いているのだと。
また、親のありがたさがわからんやつは、親の楽しみもわからんようにしてやる、と言われて、郭公鳥には自分で巣を作って子を育て上げることを禁じられたと。
それで郭公鳥は、百舌鳥(もずどり)の巣にばかり卵を産んで、百舌鳥に我が子を育ててもらうんだと。
郭公鳥の足の片一方にだけ脚絆(きゃはん)履(は)いたような羽毛(はねげ)が生えているのは、山遊びするとて足に脚絆を巻きつけているとき、おっ母さんに怒られて、片脚(かたあし)だけ巻いたところで逃げ出した名残り(なごり)なんだと。
チャンチャン。
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昔、あるところに夫婦者がおいやって、二人の間に男の子が出きんしゃった。その子は七ツ八ツになって使い事をよくするようになったが、親の言うことにそむいたことの無い子で、それが世間にも評判になった。
むかし、むかし、あるお寺に和尚さまと施物を司る納所坊主さんと小坊主との三人がいたと。ここの和尚さまは餅が大好きで他所から貰っていつも己ひとりで食べるのだと。
「郭公鳥の由来」のみんなの声
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