― 大分県 ―
語り 平辻 朝子
再話 六渡 邦昭
むかし、吉四六(きっちょむ)さんの村にたいそうしまりやの久助(きゅうすけ)さんという男がおったと。
屁(へ)ひとつひるにも、家にいるときは急いで畑へ行き、茄子(なす)だの大根だのに尻を向けて、
「さぁ肥(こやし)の息だ、いっぱい吸い込んで大きく育ってくりょ」
とひり、遠くにいるときには、紙袋にひり込んで持ち帰り、畑に埋(う)める。
夜は夜で、暗くなっても行灯(あんどん)に火を灯(とも)さないのだと。
「しかし、なんじゃのう。毎日毎夜、真っ暗闇にじいっとしとるのにも、ちいっとあきてきたわい」
久助さん、ある夜、吉四六さんの家に行った。
「将棋(しょうぎ)をさしたくなってな。手ぶらじゃ悪いきに」
と言うて、きちんと正座して、細長い紙包みを差し出した。紙包みには「御キセル掃除(そうじ)」と墨(すみ)で書いてある。吉四六さんは、
「ほう、自分とこの灯(あかり)の油が惜しいてやってきたと思うちょったら、多少は気遣いがあるんじゃのう」
紙包みを開けてみると、稲のワラがたった一本しか入っとらん。これを見た吉四六さん、呆れるよりさきに、とっさに仕返しを思いついて嬉しくなった。
「いやぁ、これはこれは、久助どんにしてははりこんだのう。ま、ゆっくり将棋をさそうや」
久助さんは、吉四六さんに膝(ひざ)をくずすように勧(すす)められないので、将棋が終わるまで正座したままだったと。帰ろうとしたら、足がしびれてひっくり返ってしまった。
「おう、そうじゃ。久助どんに、先程もろうたお土産のお返しをせにゃあ」
吉四六さんはかまどへ下りて、包丁で、先程のワラを指の先ぐらいの大きさにチョン、チョンと切った。それを紙に包んで久助さんに差し出した。
「これは、はなはだ些少(さしょう)でござんすが、ほんの気持ちばかりのお返しで……」
久助さん、紙包みがあまりに軽いので、その場で開いて目を白黒しとる。
「こ、これは何ですかいのう」
「おや、久助さん、識(し)らんかや。こりゃシビレ薬じゃがな。シビレたときにゃ、ワラスボをなめて額に貼り、『シビレ、シビレ、京へ上(のぼ)れ』と三編唱えりゃ治るちゅうじゃろが。
ありゃ、久助さん、お前さん、もしかしたら、今シビレていなさるのではないかや」
こういうと吉四六さん。つばをたっぷりつけて、久助さんの額にそのワラスボを、ペタリッと貼りつけてやったと。
それからは久助さん、他人(ひと)に迷惑をかけるようなケチはしなくなったそうな。
もしもし米ん団子、早う食わな冷ゆるど。
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これは、ずうっと昔、キリシタンを厳(きび)しく取り締(し)まった頃の話だ。陸前(りくぜん)の国、今の宮城県の鹿島(かしま)という町に隠れキリシタンの藤田丹後という武士がおったと。
「ワラの贈り物」のみんなの声
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