結局蛇は死ぬのか。 呑まれた人可哀想。
― 長崎県 ―
語り 井上 瑤
再話 六渡 邦昭
むかし、ある山間(やまあい)の村に両親と三人の兄弟が住んでおったと。
あるときから、一番上の兄が、毎晩どこかへ出かけて行き、夜中過ぎに冷たい身体で帰って来ては、寝床(ねどこ)にはいるようになったと。
家族の者が、
「毎晩どこへ行ってる」
と聞いても、兄は、
「なに、腹ごなしだ」
と言うだけだったと。
そのころ村では、夜な夜な大蛇(だいじゃ)が出て、何人もの村人が呑まれておった。村中総出で蛇退治の山狩りをしても、大蛇はどこへ潜(もぐ)ったか、いっこうにつかまらなかったと。
そうこうするうちに、二人の弟たちは家を出て他所(よそ)へ働きに行くことになった。家には親たちと一番上の兄が残ったと。
大蛇はその後も出ては人を呑み、姿をくらましたと。
一年経ち、二年経ち、三年が過ぎるころには、村人の中には、蛇に呑まれて死ぬ者やら村を逃げ出す者やらあって、とうとう村には人が誰もいないようになってしまったと。
そこへ三番目の弟が、長い間家にも帰ってみないが、皆どうしているかと思って、村に戻ってみたと。
峠(とうげ)から下を見下ろすと、村に人気(ひとけ)がない。家に入ってみると、一番上の兄だけがいた。
「親はどうした」
と聞くと、兄は、
「死んでしもうた」
と言う。
弟が棚(たな)の仏壇(ぶつだん)に向って、線香をたこうとしたら兄は、
「太鼓(たいこ)を叩いて拝め、その間におれは、料理をする包丁を研(と)いでくる」
と言うて、家の裏に行ったと。
弟が太鼓を叩きながら拝んでいると、そこへ、大きなネズミが二匹出て来て、
「お前は早う逃げい」
と言うた。
「どうしてだ」
と聞くと、二匹のネズミは、
「あの兄は本当の兄ではない。本当の兄は、大蛇に呑まれて死んでしもうた。お前が未だこの家におったころだ。あれは兄に化けた大蛇だった」
「あの包丁は、お前を料理するために研いでいるのだ」
と言う。
二匹のネズミは、大蛇に呑まれて死んだ両親の魂がのりうつったものだったと。
「私たちが、尻尾で太鼓を叩いているから、その間に逃げなさい」
と言うので、弟はこっそり逃げ出したと。
兄は包丁を研ぎながら、太鼓の音が違っているのに気がついたと。変に思うて家に上(あが)ってみると、弟はおらず、二匹のネズミが尻尾で太鼓を叩いておった。
「やろう、逃げたなぁ」
と言うや、たちまち大蛇の姿となって、後から追いかけたと。
弟は逃げる、大蛇は追いかける。たちまち差が縮まって、今にもつかまる、というとき、ちょうど蓬(よもぎ)と萱(かや)がたくさん生えたところがあったから、あわててその中に飛び込み隠れたと。
大蛇は、
「しもたぁ」
言うて、その繁(しげ)みのまわりを何度も廻っておったが、その中には分け入ろうとしなかったと。
そこへ、大きな鷹(たか)が空からサーッと降りてきて、大蛇を蹴殺(けころ)してしもうたそうな。
それが五月四日のことであったと。
それで、この日には今でも蓬と萱とを束ねて屋根に上げ、お節句(せっく)を祝い、それを、五月ごろうと呼ぶのだと。
これでしまいばい。
結局蛇は死ぬのか。 呑まれた人可哀想。
むかし、むかしの大むかしのことでがんすがの。 今の広島県の芦品郡(あじなぐん)に亀が嶽(かめがだけ)という山がありまんがのう、知っちょりんさろうが。そうそう、あの山でがんよのう。あの亀が嶽の中ほどに火呑山池がありまんがの、その池に一匹の大蛇(だいじゃ)が住んでおりまぁたげな。
「五月ごろうの由来」のみんなの声
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